故郷を喪失する、した人がいるということ。

おぼろげながら、そういうことがあるということを、どこか遠い国のことではなく、目の前にいるこの人がそういう境遇のうえで、いま、ここにいるんだなと感じたのは、たしか英国にいた二十歳前後でした。

「ソマリア難民なんだ」そう、告げられ、まじまじと彼の姿を見返したのですが、彼はあいも変わらず屈託無く笑い、底抜けに明るい顔でボールを蹴っているのでした。それまで「難民」という言葉でイメージしていた人生とはどこまでもかけ離れていたかれの姿に、どこか戸惑いつつも、まあそんなものかと思いな直し、沈みゆく夕日のなかで、ボールを追うことにしたような気がします。

満州の引揚者が経営する店を舞台に繰り広げられるこの劇は、「故郷」を喪失した、こういうには、どこかしろ異なるかもしれないですが、それでも、とりあえず、そう手持ちの言葉でしかいい表すことができない人々が、わたしたちの祖父の世代に居たのだということを、そっと伝えようと願う劇であるといえそうでした。

教えるでも、諭すでも、言うのでもなく、伝わるように「願う」。

「この私」にしかわからないことを、それでも、誰かに伝えようとすれば、どこかしら諦念をもちつつも、それでもわかってほしいから言葉を尽くすといった、すくなからず曖昧な態度で相手に対峙することになるのではないでしょうか。「あなたには私の気持ちなんかわからないから」という、その言葉はすでに目の前にいる相手に向かい、とりあえず宛先であるあなたには、その意味はわかると思い、発せられているのではないでしょうか。

そして、この事態は「味」の継承とどこか似ています。

味覚は、視覚や聴覚、触覚と比べ、もっとも曖昧な感覚、そういわれています。たとえば絵画や音楽の再現可能性は、技術の発達をまつまでもなく、古代から多くの人々が用いてきました。他方で、料理の継承は技術の発展との相関関係がほとんどない、そういうもののように思えます。

デジタル機器の発展は複製のハードルを著しく下げ、五線譜の発明は音楽の再現可能性を著しく高めたのに比べ、料理の再現可能性はレシピ通りに材料を揃え、調味料を整え、彩りを添えれば、可能になる、そいういものではないということです。

たぶん、とても単純な母の味の継承でさえ、味を継ぐ娘に、母に対する「思い」が、「願い」がなければ難しい気がするのです。

「味」を継ぐことと「記憶」を継ぐこと。

「故郷」を喪失した人々、もうすこし言えば、「この私」だけが経験したなにかを伝えることは、わたしたちが「味」を伝承するように、不確かでもかまわないから頼むと「願う」ことでしか継承できない、いや、むしろ、そうすれば可能であるのではないかと、言いたかったのではと考えています。

ですかね。水野さん?!