岡崎市議会議員の小田たかゆき(@odatakayuki1984)です。
視察の2日目は東京国際フォーラムでおこなわれた「農業参入フェア2019」に参加してきました。
岡崎市議会議員(2期目)/1984年生/愛知県岡崎市→岡崎小→南中→北高→イギリス留学後→関西学院大学・大学院(都市計画)→NPO職員→議員秘書/無所属/チャレンジ岡崎・無所属の会/2児の父/どんなことでも連絡はこちらまで → oda.takayuki.office@gmail.com
働き方改革というのは詮ずるに、労働者の働く場所と時間を個人の裁量に委ねることであり、他方で、組織としてはそれを認めること、推奨することにあると考えています。小田たかゆき@岡崎市議会議員@odatakayuki1984
貴重なお時間を頂きありがとうございました。大変勉強になりました。今後ともよろしくお願いいたします。 https://t.co/QkdSM8YGwE
2019/01/23 13:49:53
そこから中央線と青梅線を乗り換えあきるの市役所の最寄り駅であるJR秋川駅に11時48分に到着しました。小田たかゆき@岡崎市議会議員@odatakayuki1984
東京駅に。途中、富士山が綺麗に見えました。 https://t.co/3kCgQH7Uwj
2019/01/22 10:10:10
「あきる野市」は東京都の西、八王子市の北側に位置する人口8万人ほどの町です。主要駅の一つである秋川駅前は直線道路が東西南北に走り、大型ショッピングスーパーがあるニュータウンを思わせる都市構造であり、西側には中山間地、丘陵地を抱え東京郊外の最西端に位置しています(たぶん)。小田たかゆき@岡崎市議会議員@odatakayuki1984
1日目の視察先である、あきる野市に着。 https://t.co/OFta4Ytavq
2019/01/22 11:51:25
高齢化の進む地域において自治体はどうするべきなのか。何度も議論されている課題ですが、なかなかこれだという有効な手立てがないのが現状ではないでしょうか。そのような課題にたいし、果敢に取り組んでいる自治体の一つに埼玉県の鳩山町があります。
東京から電車で50分、最寄駅からバスで10分という郊外に位置するかの町は、東京のベットタウンとして1970年代から開発が始まったところです。現在そのニュータウンは人口7,500人、高齢化率が50%と埼玉県下においてもっとも高齢化が進んだ町となっています。
このようななか、町はこのニュータウンの中央に位置する施設に「コミュニティ・マルシェ」を公募型プロポーザルにより選定をし、運用を開始しました。公募型プロポーザルは、ひろく民間から事業の提案を募り、そのなかでもっとも評価が高かった事業者と契約を結ぶ方式です。
「コミュニティ・マルシェ」は地域の紐帯を再構築することを目指し、いわゆるイベントを中心としたまちづくりにより人の輪を広げることを事業としていました。それに加えて、移住者の確保にも取り組み、空き家の所有者と移住者のマッチングにも取り組んでいるとのこと。
そして、なにより、ニュータウンの側に特別養護老人ホームを誘致することで、高齢者の方が切れ目なく地域で暮らすことができるまちづくりに取り組んでいるとのことでした。
もちろん、こちらの事業は始まったばかりであり、成果というのが早急にでているわけではありませんが、町の特性にあった高齢化社会に向けた取り組みは、ここ岡崎市でも見習っていかなければならないなーと実感する次第です。
行政視察2日目は宮城県は山元町へ。
宮城県の東南端、仙台市から南へ約40kmほどに位置するのが山元町です。
震災前から人口減少が著しく平成7年のピーク時には18,815人であった人口は、震災直前には16,695人でした。そこへ、地震、津波が町を襲ったことにより人口減少に拍車がかかり直近の平成29年6月末では12,472人と震災直前と比較すると4,223人、割合にして25,3%減となっています。
引用 : 山元町人口推計
庁舎はいまだプレハブのままでした。
復興計画の根幹である土地利用計画においてはコンパクトなまちづくりを目指し、沿岸部の集落を集約化し、山側に移動した常磐線沿いの駅や病院をコアとして集落を形成していくことを目指していました。
建設された戸建復興住宅。写真には写っていませんが、公園にはプランターが積み上げてあり、園芸を楽しむ準備が進められていました。
震災時に象徴的な存在であった旧坂本駅の周辺はこのような状態でした。
旧坂本駅から海側を眺めた映像がこちらです。
山側に寄せた常磐線における新坂本駅。
今回、事業を説明していただいた山元町議会の青田副議長が仰っていたことが印象的でした。
「日本人は捨てたもんじゃーない」
いろいろあったけど、多くの人が駆けつけて力を貸してくれたとエピソードと共にそう仰っていました。
もうひとつ、案内をして頂いた職員の方が仰っていたこと。
激甚災害において「議会も無力なら、行政も無力で、頼れるのは地域しかない」
インフラなど全てが無力化したあとでも機能したのは、地元消防団であり、近所の繋がりだったそうです。
あらためて被災地を訪れ思い出したことは、震災は社会の最も脆弱な部分に押し寄せてくる、そう大学時代の恩師が述べていたことでした。
これらの教訓をしっかりと岡崎市に活かしていきたいと思います。
行政視察に行ってきました!
1日目は宮城県の亘理町。
仙台市から南へ約30kmに位置し、常磐線沿いにあるのが亘理町です。人口は3,3000人強で、イチゴが有名な町です。
町の北端には阿部隈川が流れ、左向きに凹んでいる湾は「鳥の海」と呼ばれる場所です。
震災から6年以上が過ぎたいまでも庁舎はプレハブのままでしたが、それでも今年の3月には仮設住宅で暮らす人がゼロとなり復興においては一里塚に来たのかもしれないとのことでした。が、いまだに人口や経済的な指標は震災前の7割ほどにしか回復をしていないので、これからです。と。
プレハブの庁舎は夏は暑く、冬は寒いとのことですが、来年度には新庁舎が完成するとのことでした。
震災直後から岡崎市は職員を派遣しており、現在は2名の方が亘理町で業務に従事しています。その中の一人。自ら志願して亘理町に着任した強者が活躍しています!!
鳥の海と呼ばれる湾内にある小島とそこに架かる橋。いまは手前に水門があり通行は不可能でした。大量の海鳥が手すりや小島に停まっていました。
海と川の接合部辺り。築堤をしていました。
復興計画などはもちろん、復興に臨む意気込み、姿勢がなにより勉強になりました。
受け入れてくださった亘理町のみなさま、ありがとうございました。