岡崎市議会議員 小田たかゆき blog

岡崎市議会議員(2期目)/1984年生/愛知県岡崎市→岡崎小→南中→北高→イギリス留学後→関西学院大学・大学院(都市計画)→NPO職員→議員秘書/無所属/チャレンジ岡崎・無所属の会/2児の父/どんなことでも連絡はこちらまで → oda.takayuki.office@gmail.com

カテゴリ:雑記 > 日々のこと

3月定例会が開会して数日がたちました。

いわゆる本会議はありませんが、この間は来週からはじまる委員会質疑に向け、担当課からのヒアリング、予算書とのにらめっこそんな日々を過ごすこととなります。

さて、そうこうしているうちに週末を迎えるわけですが、今日はすこし宣伝を。

明日(3/9)ですが、愛知学泉大学で岡崎大学懇話会主催の「第19回地域活性化フォーラム」が13:30~開催されます。
地域活性化フォーラム

岡崎市内の4大学が集まり構成されている懇話会が主催ということで、各大学の教授陣が興味深い発表をされることとなりそうです。
裏

本年度から始まった議会と大学生の意見の場のセッティングはこの大学懇談会さんにお世話になっているからこそ可能になったといっても過言ではありません。

来年度は10月に2つの大学での開催も決まりました。

だから、ということではありませんが、明日はすこし学術的な視点から岡崎市を見直すことができるいい機会ですので遊びにいきたいと思っています。

みなさんもお時間があればぜひ足を運んでみてくださいね。

それでは、また。

こんばんは。

昨日より岡崎市3月定例会が開会となりました。

議案、予算にかんしては先日もここで触れたので割愛することして、昨日、今日で市長提案説明と代表質問がおこなわれています。

さて、議会がはじまるといくら地方議会といえでも報道量が増えるものです。

とりあえず、いま手元に東海愛知新聞と中日新聞があるのですが、議会にまつわる記事を眺めつつおもしろいものだと感じています。

東海愛知新聞の一面は「6事業者が出店」と見出しを打ち、JR岡崎駅横の出会いの杜公園ではじまる、公園使用料と電気代を無料にして園内を貸し出す社会実験を報じています。

一方、わが中部圏が誇るブロック紙である中日新聞は18面の西三河版で「籠田公園完成7月に延期」の文字で、現在リニューアル工事をしている公園に埋蔵物が見つかり、その撤去費用4102万円程を予算に計上していることを報じています。

他にも中段以下にベタ記事で代表質問への答弁として「市消防本部南分署の移転計画」「コンベンション施設の特徴・効果」をそれぞれ数行で報じ、また19面では「岡崎市が福祉総合相談窓口」と題し、この4月から開設が予定されている福祉相談の窓口を一元化する事業が報じられています。

どれもこれもすべて事実であることは間違いなく、大切なことだとは思うのですが、一読して感じることは、すくなくとも執行部が伝えたい、伝えようとしているメッセージや事業とはずれているのではないかということです。

あくまでわたしの主観ではありますが。

もちろん、わたし自身が注目している事業からもずれているわけです…

だからいいとか悪いとかそういうことが言いたいのではないのですが、そういうところを報じるんだな〜っと、おもしろく感じたものです。

それでは、また。 

こんばんは。

岡崎市議会議員の小田たかゆきです。

今週に入ってからは3月議会にむけて慌ただしい日々を過ごしています。

議案のヒアリング、その合間には意見交換会に向けて人間環境大学さん、愛知産業大学さんへご挨拶に伺ってきました。
意見交換会の方は10月に予定されているのでまずは顔合わせという段階ですが、両大学の方には快く引き受けていただきました。

今後しっかりと段取りをしつつ成功に向け進めていければと思います。

さて、明日からはいよいよ3月議会が開会となります。

新年度予算の審議をはじめ、おおくの議案を抱える当議会ですので、しっかりと望んでいきたいと思います。

それでは、また。

昨日はこちらのシンポジウムへ。
2部構成で1部では現在この界隈で活動している方々の紹介と2部では専門家の方々により発表が行われました。
さまざまな議論があり、具体的な事例から学べることも多かったのですがあらためて考えていかないといけないと思ったのはこちらのこと。
中心市街地をはじめJR岡崎駅周辺でもそうですが、ここ最近の行政によるまちづくりは「稼ぐ」というのがキーワードになっているのですが、これがあまりに一人歩きするとまた違った受け取られ方をするのではないかと危惧するところでもあります。

「稼ぐ」というのは以下のようなストーリーが期待されるからこそ正当化されるものでしかありません。
「トリクルダウン理論」「風が吹けば桶屋」的なお話しに聞こえるかもしれませんが、このストーリーの肝はあたりまえですが投資に見合うリターンが得られるかどうかというところにあります。

乙川で言えば100億円の初期投資をどうトータルで回収するかということになります。

ここがこけると、後ろも全部こけます。といより、投資が投機になり、結局は負債へという話しにもなりかねません。

「稼ぐ」というのは民間事業者さんに稼いでもらうということですが、そうしないと、結局はきれいな道や公園をつくっただけというかつてのハコモノ政策となんらかわりがなくなってしまうからです。

そして、民間事業者さんに「稼い」でもらうための手法が公民連携となるはずです。

餅は餅屋にということで、公共が苦手な部分は民間とともに組んでやっていきましょうという手法です。

稼ぐも公民連携もようは、そこで得たお金を福祉、医療、教育、子育て政策へまわしましょうということです。

税金を徴収して再分配することにはかわりはありませんが、どこからどう取るか、その重きが変化しているのだと考えています。

ということを考えながら拝聴させていただきました。

それでは、また。

こんばんは。

岡崎市議の小田高之(@odatakayuki1984)です。

ツイッターで宣伝したこちらの勉強会へ参加してきました。
岡崎市の伝統的な味噌製造会社である2社が地理的表示制度(GI)から排除されたのはみなさんご存知のことかと思います。

八丁味噌を製造する2社がその名称を欧州で使用できなくなる事態になったことに端を発したこの事件は、2年ほど前に各種メディアで報道されたこともあり、あっというまにわれわれの知るところとなりました。

その後、署名活動や勉強会、市議会においては国へ疑義を呈する意見書を提出など、さまざまな主体による動きはあるもののこの決定が覆ることはなく、現在2社は行政不服審査法による請求を行い結論を待っている状態にあります。

このようななか今日の勉強会は少し俯瞰した視点からGIとはなにか。商標とは。地理的表示とはどういうものかを愛知産業大学の吉田教授を中心とした学者の方々が論じるという主旨のものでさまざまな論点が論じられていたのですが、わたしのなかではあらためて地理的表示の定義が気になりました。

地理的表示とは「地理的原産地(自然的風土、人的な特性)と産品の特性(品質、社会的評価評判、そのほか)と結びついた商品の表示」とされているものです。

う〜ん。

これをどう読もうが、八丁味噌は岡崎市固有の地理的表示だと思うものですが、どうなんでしょうか。

どう解釈したら愛知県全土の味噌会社に認められ市内2社が使用できないという結論になるのか。議論のプロセスを見ることができないとしても、今回の決定はあまりにも定義とかけ離れていると感じる人が多いはずです。

農水省側は規定のプロセスを経て今回の意思決定を下したのだと思います。省内の議論だけではなく第三者委員会が設置されそこの答申を承け結論をだすなど、例え、そのなかの議論が黒塗りのペーパーしか開示されず議論の透明性に関しては大いに課題はあるものの、規定のプロセスに沿った意思決定であり、その過程に瑕疵があったとはわたしは聞いていません。

また、国はグローバル化する市場に対抗するためには先行的に登録をしていくことが必要だとも言っているとも聞いています。確かにそれはその通りだと思うのですが、だとしても、定義からあまりにかけ離れたものではいったい何を守っているのかさえ不透明です。

こう考えてくると、この問題は地域ブランドとグローバル市場というより大きな枠組みの問題でもあり、とすれば、八丁味噌や岡崎市の問題だけではなく、普遍的な問題でもあります。

ぜひ、グローバル市場のなかでの伝統という大きな問題としてひろく議論が沸き起こることを期待します。

それでは、また。

地方議会の投票率に関する記事が出ていました。
ちらっと聞いたことはあった気もするのですが、地方選挙の投票率が低いのはなにも日本特有の現象ではなく、先進諸国の共通であることが数字をもって示されていました。

全米で人口上位30都市のうち15の都市で市長選挙の投票率が20%以下であったり、英国でも行政区の長を決める選挙は30%を割り込んでいるそうです。そのうえ欧州各国でも地方選挙は国政選挙と比べ投票率が下がる傾向にあることも指摘されています。

まあ、都市部という事情もあるのでしょうが、それにしても驚愕の低さですね。

加えてどこの国の地方においても世代別投票率は高齢者程高く、若年層は低くなることも、日本と同じだそうです。

「万国高高若低」語呂悪いですね。笑

もちろん、政治が置かれている状況や制度等は各国、各地方で異なり、単純な比較はできないのかもしれませんがだいたい先進諸国はそういう傾向にあるということは言えるのではないでしょうか。

となると裕福になると投票率が下がる…とりあえずそう単純に考えていいのでしょうか。
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試しに岡崎市長選の投票率をみると昭和22年から80%以上で推移しつつ無投票の昭和54年をきっかけに昭和55年からは55%以下へと急激な低下をみせ、それから上昇することなく前回の選挙は54.7%でした。

同期間の岡崎市議会議員選挙の推移も似たような傾向があります。

市長選挙と同時にやっているのであたりまえといえば当たり前ですが、昭和50年を境に投票率が低下、市議会のごたごたにより上昇するものの、その後は60%台を割りこみ、前回は55%にも到達しない結果となっています。
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となると、この昭和50年前後に何かが起こったと考えるのがよさそうなのですが、急に裕福になった。ということは考えづらいものです。

なんなんでしょうか。西暦に直すと1975年ですが。なにか社会的な構造が大きく変化したんでしょうか。

そこらへんはまたいつか考えるとして、記事のなかでは、各国の地方選挙の投票率が低くなる傾向として「候補者や地域の課題、その解決策の情報が不足している」ことが一つの要因ではないかという意見を紹介しています。

確かにそうなのかもしれません。地方議会の話題はマスメディアで報じられることはほとんどありませんし、ネットを除けば、唯一地方紙ぐらいが定期的な情報源なわけですが、決して多くの家庭が購買しているものではありません。

ただ、マスメディアを通し質量ともに圧倒的な情報量を誇る衆議院選挙でさえも投票率が低下していることを考えれば、情報量と投票率に相関関係があるということも一概にはいえないのではないかと考えてしまいます。

じゃあ、なんなんだ。と言われてもなかなか答えはないのですが、なぜ投票率が低下しているのかがわかれば、投票率の向上の策を講じることができるはずです。

地方議会の投票率の低下は先進諸国で共通の現象である。

そこを起点にこれから原因を自分なりに考えていきたいと思います。

それでは、また。

建国記念の日は「戦後」を考える一つの契機なのではないでしょうか。
2019-02-11 10.35.11
戦後は「ねじれ」をねじれとして感じられない、その状態のことである、そう定義したのは加藤典洋氏だったように思います。

「わたし達はこれを「押しつけられ」、その後、この価値観を否定できない、と自分で感じるようになった。わたし達は説得された」

氏が指摘したのは、憲法をはじめとする、自由や民主主義という現在の価値観は残念なことに押し付けられたものであるにも関わらず、わたしたちはそれを説得され、受け入れた、その厳然たる事実に向き合うことが難しい、そのことだったように思うのです。

抽象的でわかりにくいので、あえてめちゃめちゃ表現悪く言えば、どうかこの部分だけを切り取らないで頂きたいのですが、それは、強姦魔を愛するという悲劇とも喜劇ともいえる倒錯、この「ねじれ」を抱え込んでいる。にも関わらず、それがなかったかのように、ねじれがないかのようにわたしたちは考えようとしている、嫌なものから目をそらすようにしている、これが戦後ではないかといみじくも述べていたと解釈できます。

そのとおりではないでしょうか。

だからこそ、もう一度ナショナルヒストリーを取り戻すこと、日本の来歴を編み直すことが、必要なはずです。

抽象論ではだめなのであえていえば自主憲法の制定、そしてあえて幻想と理解しつつも起源を設定すること。それがいまを生きるわたしたちに課されているように思います。

加藤氏が述べるように、「三百万の自国の死者への哀悼をつうじて二千万の死者への謝罪へといたる道」を模索しなければならないと、思うものです。

分不相応なことを述べてしまいました。ご容赦ください。

それでは、また。

こんばんは。小田です。

視察へいったのでそういえばと思い書くのですが、視察は長距離の移動もおおく本を読むまとまった時間をとれるものです。なので、いつも視察前日には電子書籍にいくつかの本をダウンロードしておくことにしています。

電子書籍は荷物が多くなりがちな出張には最適です。かつては3,4冊を持ち込んでいたのですが、kindleにより重い本を詰め込む必要もなく、何十冊という本を持ち運ぶことが可能になったのです。

といいつつも、紙の本もやはり捨てきれないわけですが今回は道中で一冊の本を買うこととなりました。

濃霧の中の方向感覚
鷲田清一
晶文社
2019-02-01

書き手は朝日新聞で「折々のことば」の連載をもつ鷲田清一氏でこの本はいくつか新聞に寄稿したコラムのアンソロジーという趣のもの。

「折々のことば」からもわかるように、文化、政治、教育、どのような分野であれ柔和な語り口にもかかわらず、ハッとさせられることをいくつもご指摘になられるその隻眼に驚かされることばかりです。

みなさんもせひ手にとって頂ければとおもいます。

さて、今回は道中、ややもすれば荷物でしかない本を購入してしまったわけですが移動の荷物は少なければ少ないほどいいものです。

なかなか難しいところもありますが。

それでは、本日はここまで。

また。

こんばんは。

岡崎市議会議員の小田たかゆき(@odatakayuki1984)です。

ひさびさに出だしをこういう感じで初めてみたのですが、あらためて感じるのはブログをはじめて早2年以上。

いまでもすごく迷うのは「はじめ」と「おわりかた」なわけです。

例えば「は〜い」とかでは軽すぎて失礼ですが、「お元気ですか」もへんだし、「お疲れ様です」はメールの定型分みたいで気持ちが悪いわけです。

それでいつも迷ってしまうのですが、ふとこの迷う原因は、ブログなる手段が生まれてからそれほど時がたっていないことがその一因ではないかという気がしてきました。

ひとつそこらへんについて考えようと思うのですが、これについては手紙と比べてみるのがいいのかもしれません。

まず「手紙」にはフォーマットがあります。

相手との距離感や話題により頭語として「拝啓」を結語に「敬具」を、または「前略」を頭に「草々」と書いておけば、こういう言い方はどうかとも思いますが、内容はどうであれ手紙として成立します。

一方この出だしの規則やルールがブログにはありません。「はーい」「こんばんは」「子どもより親が大事、と思いたい」となんでもいいのですが、型がないからこそ難しく出だしに迷う道理なわけです。

もうひとつ「はじめかた」を難しくしているのは、宛先の問題です。

これも手紙と比べるとわかりいいのですが、手紙の宛先は2人称の「あなた」しかありません。この「あなた」が、大切な友なのか、遠くに暮らす両親なのか、上司や部下といった立場の人へなのか、それはわかりませんが、すくなくとも手紙は名前と身体を持つ具体的な誰かへ差し出すことになります。

当たり前じゃないかと言われそうですが、ブログはここが不明瞭です。

誰に向けて書いているかがわからないので「お疲れ様です」というわけにもいかず、「は〜い」とかでは慣れ慣れしすぎて気持ち悪く、「こんばんは」くらいがまあ適切な距離なのではないかと思っています。

この宛先の問題は、出だしだけではなく文章全体にも影響します。相手との親疎により言葉遣いを変形させる特徴を持つわれらが日本語は、わたしとあなたの関係性を規定しておくことは大変に重要だからです。

社長や上役の前で「俺は〜」は危険すぎます。妻の前で「わたくしは」と名乗れば離婚協議中を疑われます。中年男性が母親に「僕は〜」と言っていると、ひきます。これを少し考える一人称の代名詞に「ぼく」「俺」「わたし」のどれを選ぶかにより、その後に続く文章にかなり影響します。

一応、わたしはこのブログでは「わたし」を選択していますが、どうしてもこの代名詞では距離感がですぎてしまうというか、もうすこし「ぼく」に近い言葉遣いで書きたいと常々思うのですが、立場上それを選択するのには躊躇していますものです。

話が脱線しかけていますが、たまたま見つけた記事では女性が「ぼく」を使用することの是非が論じられていました。
この中では劇作家の平田オリザさんが女性が社会で使用する言葉がまだ日本語には登録されておらず、そのことが現代の社会において混乱をきたしている部分があることを指摘されていますが、これはそのまま「女性」を「ブログ」に置き換えれば、いままでここで書いてきたことをよりわかりやすく理解できるものになっています。笑

なんだか話があっちこっちにとっちらかってますがブログでは「はじめかた」と「おわりかた」が大変難しいという話しでした。文字数の制限がないののもあれですね。

といいつつ、いまどうやってこの話題を締めようか迷っているだけなのですが。

ということでぶっつとおわります。

あ〜難しい。笑

それでは、また。

愛知県知事選挙は大方の予想通り8時に当確を出しそうそうに大村候補の3選が決まりました。
まずは心よりおめでとうございます。

やはり微力ながら応援させて頂いた身として、また幾人かの方にお声がけさせて頂いた手前応援して頂いた方にあらためて感謝する次第です。

ありがとうございました。

さて、結果と共にきになるのは投票率でした。

本日の投票者数は蓋が閉まった20時時点で24.61%という数字が出ています。

これに期日前投票9.86%を足すと今回の投票率は約34.5%くらいになるのでしょうか(たぶん)。

昨日は30%を割るのではないかと予測したいたので外れたことは反省しつつも、まったく当たらなくてよかったと胸をなで下ろしているところです。
また、どうやら岡崎市内では投票率は前回より上昇しています。

なにはともあれ、関係者のみなさまお疲れ様でした。

それでは、また。

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