議会の人間模様にどれほどのひとが興味をもたれるのでしょうか。

いまだそれについては自信が持てないでいます。

何某が何某と組み、だれがしががあそこから離れ、それにともない役職が云々カンヌン、といった、離散集合はときにスキャンダラスであり、耳目を集めることかもしれませんが、その一方で、「そんなことはいいから仕事しろよ」とお叱りを受ける気もして、ここで記すことをためらってきました。

そして、いまもそうです。

とはいいつつ、他方で、議会人としての3年弱で理解したことは、会派をふくむ議会の構成はさまざまな場面で重要な要素でもあり「仕事」をするためにも必要不可欠な事柄でもあるということです。

岡崎市議会は現在36人(定数37で欠員1)。

第一会派、第二会派…と、つづく、理念と数による集合体は政策決定にすくならかず影響を与えることとなります。

うん。しょせん政局。されど政局。

などと逡巡しつつも、昨日、5日に会派結成の発表がありましたので、備忘録的に書いていこうかと思います。

議員名簿(会派別) | 岡崎市議会ホームページ
https://www.city.okazaki.lg.jp/shigikai/733/p010388.html#souseikai

今回発表された新会派は「創政会」という名前で、当選回数の多い、山崎泰信議員、原田範次議員、蜂須賀喜久好議員の3人で結成されました。6日付けの東海愛知新聞によると、会派結成は「志が同じ議員が集まった。信頼される議会人でありたい」とし、会派名には「新たな政治を創る」という意味を込めたことが記載されていました。

新会派を組織された御三方に直接今回の動きについてお話しを伺ったことはないので、新聞報道以上の何かを持ち合わせているわけではないのですが、新聞報道のコメントを読み「信頼される議会人でありたい」という短いコメントに強い印象を受けました。

というのは、些細なことかもしれませんが、この「ありたい」という表現に御三方が感じている議会にたいする思いが滲みでていると感じたからです。

どういうことでしょうか。

「ありたい」とは「在る」に希望の助動詞「たい」が付いた形です。換言すれば、願望、希望、欲望を表現するさいに用いられる動詞と助動詞の組み合わせです。

「幸せでありたい」
「素直でありたい」

と、日常的に使用されるものです。

似たような言葉に「なりたい」があります。こちらは「成る」に希望の助動詞「たい」をつけたものです。

「幸せになりたい」
「素直になりたい」

文字にするとたった一文字の違いですが、「ありたい」と「なりたい」には大きな違いがあります。

「なりたい」という言葉は「変化」を表すことばです。いま、そうではないから、こうなりたい。憧れのあの人になりたい。そういう思いを込めて使われる言葉です。ここには現状への不足が込められています。

他方で、「ありたい」は動詞「在る」があらわすように、変化よりも「(今すでにそう在るから)この状態を保つこと、保とうと願うこと」に重きが置かれる表現です。

前者は主体が持ち合わせていないものを、手に入れようと願うものであり、後者は主体がいますでにあるものを、なんとか保とうと願うときに使用される表現だといえます。

で、なにがいいたいのか。

新会派の結成は「信頼される議会人でありたい」とされています。「信頼される議会人になりたい」ではなく「ありたい」という方が選択されています。

つまり、上記のことを考慮すると、御三方は、信頼される議会人であった、ある、という自負とともに、現状の環境下では信頼にたる議会人としての矜持を保つことができない、できそうにない、が、そう「ありたい」ので新会派を結成する、そう捉えることができるということです。

先のコメントには御三方が感じている議会にたいする思いが滲みでているといいました。そして、それは「今のままでは市民のみなさま、かつてのように議会、議会人として信頼されない」という危機感ではないかということです。

具体的になにが、ということはわかりませんが、すくなくとも、ながく議会をみてきた御三方がそう感じている危機感を、わたしたちは傾聴しなければならないと考えます。

とはいえ、まだまだ若輩者のわたしには「なる」の方が妥当な表現に響くのですが、どちらであれ、信頼される議会人とはなにかを考え、実践していきたいものです。

ということで、また。

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