こんばんは。
岡崎市議会議員の小田たかゆきです。
今日は昨日に続き、一般質問のご報告させていただきたいと思います。毎年の5月に開催される大会に中学校総合体育大会があります。
この総体でおこなわれる開会式の行進を見直すことの見解について質問をしました。この行進をするがために朝はやく家を出てかなりの拘束時間を強いられる生徒がいることや、行進の練習のために多くの時間が割かれている実情があるとのご指摘をいただいたことがこの質問に取り組んだきっかけでした。
本題に入る前に二つ確認したことがあり、ひとつは実施主体がどこなのかということ。これは岡崎市、教育委員会という当然のお答え。確認したかったことは、単市のおもいで変更ができることなのかということでした。
また、行進の指導要領等の記述についても確認しました(以後、引用符内は筆者のメモより作成したものであり当局の議事録ではありませんので悪しからず)。
とまあ、しっかりとその必要性と有用性が記されています。
ただ、この同じ県の手引には「指導上の留意事項」の記載もあり「集団行動の指導は…形式的な指導は避けなかえればならない」また「必要以上の時間を使用したりすることは、指導の観点から逸脱した指導であるといってよい」と記載されてもいます。
なかなか煮え切らない議論ですが、端的にいえば、すくなくとも「総体の行進の是非」は本市の教育委員会の考え方でどうにでもなる、そうわたしは理解し、負担軽減のためにも行進を見直すべきではないかと質しました。
行進の見直しについては「充実感と成就感を得る機会」であり「教育的価値」があるとの回答であり見直しは難しいが、生徒や教師の負担を少なくしつつ取り組んでいきたい。
そのような主旨の方向性が示されることとなり、残念ながらわたしの思うところとは相容れない回答ではありますが、これは「負担」と「教育的価値」というまったく異なるものを比較するというかなりアクロバットな議論なので「仕方ない」と思っています。
かりにわたしがこの行進の見直しを強く求めるのならば、二つの方向性がありました(結局ここからは質問としてはやっていません。余談です笑)。
ひとつは「負担」というところに論点を絞り、そこの数値を示していただくというものです。たぶんこのような数字はとってないので公表が難しいとともに、この議論の前提であるそもそもこの「負担」は負担なのか、という議論をしなければなりません。数字なく負担感を論じても行き着く先は主観的なものにしかならないでしょう。
もう一方の道行きとしては、行進の「教育的価値」について論じる方向性です。
当然、見直しを求めるわたしの方はそれには価値がないとしつつ、問答をつづけていくこととなります。こっちの戦略も悪くはないのですが、正直、行進の価値を数字的に論じることは難しく、ましてや多くの方々には記憶としてなにかしらがある事柄だけに、最終的には好悪の水掛け論に終始してしまう気がしてなりません。
ということで今回は、どちらが「正しい」ということではなく、まあ双方折り合いをつけ、落とし所として「過度な練習(負担の軽減)」は避けつつも、「意義深く感動的(教育的価値)」を提供できるようにしていくというところでいいのではないかと思っています(そしてそういう落ちになっています)。
余談の方が長くなりそうですが、総体の行進だけではなく、さまざまな負担を軽減していく方策をこれからも提案できればと思います。
それでは。
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岡崎市議会議員の小田たかゆきです。
今日は昨日に続き、一般質問のご報告させていただきたいと思います。毎年の5月に開催される大会に中学校総合体育大会があります。
この総体でおこなわれる開会式の行進を見直すことの見解について質問をしました。この行進をするがために朝はやく家を出てかなりの拘束時間を強いられる生徒がいることや、行進の練習のために多くの時間が割かれている実情があるとのご指摘をいただいたことがこの質問に取り組んだきっかけでした。
本題に入る前に二つ確認したことがあり、ひとつは実施主体がどこなのかということ。これは岡崎市、教育委員会という当然のお答え。確認したかったことは、単市のおもいで変更ができることなのかということでした。
また、行進の指導要領等の記述についても確認しました(以後、引用符内は筆者のメモより作成したものであり当局の議事録ではありませんので悪しからず)。
「愛知県教育委員会が示している「集団行動指導の手引」によると、行進は「集団行動」の一つとして位置付けられている。さらに学習指導要領では「集団行動」の目的を「能率的で安全な集団としての行動の仕方を身に付けること」としており、「集団行動の指導の効果をあげるためには、保健体育科だけでなく、学校の教育活動全体において指導するよう配慮する必要がある」
とまあ、しっかりとその必要性と有用性が記されています。
ただ、この同じ県の手引には「指導上の留意事項」の記載もあり「集団行動の指導は…形式的な指導は避けなかえればならない」また「必要以上の時間を使用したりすることは、指導の観点から逸脱した指導であるといってよい」と記載されてもいます。
なかなか煮え切らない議論ですが、端的にいえば、すくなくとも「総体の行進の是非」は本市の教育委員会の考え方でどうにでもなる、そうわたしは理解し、負担軽減のためにも行進を見直すべきではないかと質しました。
教育活動で子どもが充実感や成就感を味わうことは大切なことであり、その積み重ねがよりよい成長につながると考える。総合体育大会の開会式も、そういった大切な場のひとつであると捉えている。入場行進に参加する選手団の中には、選手として試合に出場する生徒だけではなく、試合に出場できない生徒たちも含まれる。
応援団は、これまでひたむきに練習に取り組んできた全ての選手を、一丸となって称える。こうして市内21校の選手団、応援団が気持ちを一つにして作り上げる生徒たちの活躍の場、発表の場である開会式は、子どもたちが大きな充実感と成就感を得る機会となっており、教育的価値があると考えている。
ただ、極端に時間をかけるなどといった過度な練習は適切ではないと考えている。今年度は多くの学校が行進練習を短くすることで、生徒や教師の負担を少なくしている。今後も子どもたちにとってより意義深く感動的なものとなるよう努めていく。
行進の見直しについては「充実感と成就感を得る機会」であり「教育的価値」があるとの回答であり見直しは難しいが、生徒や教師の負担を少なくしつつ取り組んでいきたい。
そのような主旨の方向性が示されることとなり、残念ながらわたしの思うところとは相容れない回答ではありますが、これは「負担」と「教育的価値」というまったく異なるものを比較するというかなりアクロバットな議論なので「仕方ない」と思っています。
かりにわたしがこの行進の見直しを強く求めるのならば、二つの方向性がありました(結局ここからは質問としてはやっていません。余談です笑)。
ひとつは「負担」というところに論点を絞り、そこの数値を示していただくというものです。たぶんこのような数字はとってないので公表が難しいとともに、この議論の前提であるそもそもこの「負担」は負担なのか、という議論をしなければなりません。数字なく負担感を論じても行き着く先は主観的なものにしかならないでしょう。
もう一方の道行きとしては、行進の「教育的価値」について論じる方向性です。
当然、見直しを求めるわたしの方はそれには価値がないとしつつ、問答をつづけていくこととなります。こっちの戦略も悪くはないのですが、正直、行進の価値を数字的に論じることは難しく、ましてや多くの方々には記憶としてなにかしらがある事柄だけに、最終的には好悪の水掛け論に終始してしまう気がしてなりません。
ということで今回は、どちらが「正しい」ということではなく、まあ双方折り合いをつけ、落とし所として「過度な練習(負担の軽減)」は避けつつも、「意義深く感動的(教育的価値)」を提供できるようにしていくというところでいいのではないかと思っています(そしてそういう落ちになっています)。
余談の方が長くなりそうですが、総体の行進だけではなく、さまざまな負担を軽減していく方策をこれからも提案できればと思います。
それでは。
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