岡崎市議会議員 小田たかゆき blog

岡崎市議会議員(2期目)/1984年生/愛知県岡崎市→岡崎小→南中→北高→イギリス留学後→関西学院大学・大学院(都市計画)→NPO職員→議員秘書/無所属/チャレンジ岡崎・無所属の会/2児の父/どんなことでも連絡はこちらまで → oda.takayuki.office@gmail.com

2019/02

自転車駐輪場のあり方の素案が出されパブリックコメントの募集が始まっています。
今後のあり方を決めるうえで非常に重要な素案だと感じるところです。

いくつか論点はあるとおもいますが、おおきなものとして年間1,600万円の維持管理費用をどう考えるか。があるように思います。

現状のサービス水準でも1,600万円です。これ以上となればどうでしょうか。

市としてはサービスの水準をあげる。それには民間の運営にする必要があり、利用者に対価を支払っていただく方式にしていきたいと謳っています。

JR岡崎駅東口はすでにそうなっており、東岡崎駅も北側は有料となります。JR西口、東岡崎南口、そのほかの駅ではどうするべきなのか。どこで線引きをすればいいのか。線引きをせずにすべて有料化がいいのか。そもそも無料がいいのではないか、ということも考えられます。

お前の意見を言え、と言われそうですが、とりあえずそれは置いておきます。さんざんここで言っているとしても、とりあえず置いておきます。

パブリックコメントの受付は3/6までです。

それでは、また。

建国記念の日は「戦後」を考える一つの契機なのではないでしょうか。
2019-02-11 10.35.11
戦後は「ねじれ」をねじれとして感じられない、その状態のことである、そう定義したのは加藤典洋氏だったように思います。

「わたし達はこれを「押しつけられ」、その後、この価値観を否定できない、と自分で感じるようになった。わたし達は説得された」

氏が指摘したのは、憲法をはじめとする、自由や民主主義という現在の価値観は残念なことに押し付けられたものであるにも関わらず、わたしたちはそれを説得され、受け入れた、その厳然たる事実に向き合うことが難しい、そのことだったように思うのです。

抽象的でわかりにくいので、あえてめちゃめちゃ表現悪く言えば、どうかこの部分だけを切り取らないで頂きたいのですが、それは、強姦魔を愛するという悲劇とも喜劇ともいえる倒錯、この「ねじれ」を抱え込んでいる。にも関わらず、それがなかったかのように、ねじれがないかのようにわたしたちは考えようとしている、嫌なものから目をそらすようにしている、これが戦後ではないかといみじくも述べていたと解釈できます。

そのとおりではないでしょうか。

だからこそ、もう一度ナショナルヒストリーを取り戻すこと、日本の来歴を編み直すことが、必要なはずです。

抽象論ではだめなのであえていえば自主憲法の制定、そしてあえて幻想と理解しつつも起源を設定すること。それがいまを生きるわたしたちに課されているように思います。

加藤氏が述べるように、「三百万の自国の死者への哀悼をつうじて二千万の死者への謝罪へといたる道」を模索しなければならないと、思うものです。

分不相応なことを述べてしまいました。ご容赦ください。

それでは、また。

こんばんは。小田です。

視察へいったのでそういえばと思い書くのですが、視察は長距離の移動もおおく本を読むまとまった時間をとれるものです。なので、いつも視察前日には電子書籍にいくつかの本をダウンロードしておくことにしています。

電子書籍は荷物が多くなりがちな出張には最適です。かつては3,4冊を持ち込んでいたのですが、kindleにより重い本を詰め込む必要もなく、何十冊という本を持ち運ぶことが可能になったのです。

といいつつも、紙の本もやはり捨てきれないわけですが今回は道中で一冊の本を買うこととなりました。

濃霧の中の方向感覚
鷲田清一
晶文社
2019-02-01

書き手は朝日新聞で「折々のことば」の連載をもつ鷲田清一氏でこの本はいくつか新聞に寄稿したコラムのアンソロジーという趣のもの。

「折々のことば」からもわかるように、文化、政治、教育、どのような分野であれ柔和な語り口にもかかわらず、ハッとさせられることをいくつもご指摘になられるその隻眼に驚かされることばかりです。

みなさんもせひ手にとって頂ければとおもいます。

さて、今回は道中、ややもすれば荷物でしかない本を購入してしまったわけですが移動の荷物は少なければ少ないほどいいものです。

なかなか難しいところもありますが。

それでは、本日はここまで。

また。

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視察3日目として大分県は別府市の「おくやみコーナー」を視察させて頂きました。

「おくやみコーナー」は遺族が亡き人に必要な手続きをワンストップで可能にするサービスです。 

A3一枚の書類に必要な情報を記載するだけで、各課死亡に関する届出を遅滞なく進めることができるものなのですが、なにせ驚いたのはその必要な書類と関係する課の多さです。

別府市さんの例でいえばもちろん個人差はあるのですが最大で届出が必要な課は13課66の書類となっています。

またその他、生命保険や預金口座、土地を扱う法務局や税務署など市役所の管轄外も入れるとたいへんな数になるわけです。

これらのことを大切な人を亡くした直後に関係各課をまわり同じようなことを何度も説明しなければならない事態は、必要なことだとしても気が滅入るものです。

その点からみてもまさに市民に寄り添ったサービスだと感じました。
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事務上の細かな仕組みについもわからないながらも伺ったのですが、大事なことはやろうと思えば(別府市さんは首町のトップダウンですが)予算がなくてもやれるということ。

別府市さんではプロジェクトチームを組み、各課の課題を洗い出し調整することで1ヶ月半で事業として立ち上げることができたとのことでした。

スピード感といい素晴らしいですね。

ただ、そのことを伝えると「窓口のひとたちの丁寧な接遇が一番ですよ」と。
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岡崎市でも残念ながら死亡届だけではなくさまざまな窓口でサービスとしての水準が低いということが指摘されることもあります。
こういったことの解決にむけてしっかりと学んだことを提案していきたいと思います。

それでは、また。

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視察2日目として北九州市の園庭芝生化事業を伺ってきました。

保育園、幼稚園、そして学校のグランドが土よりも芝生のがいいのはだれもが直感的にわかることだと思うところだとおもいます。裸足でおもいっきり遊べる、土埃の防止、暑さ対策、見た目がよくなる、芝生の生育を見守るコミュニティの形成など、いいことがたくさんあるとされています。

うむ。だったら、すぐにやるだけだ。Just Do It。

という話なわけですが、もちろんコインには裏表があり、デメリットもあります。

管理が大変。日本の気候には不向き。 というわけです。

岡崎市でもいくつか実験的に展開した園があったそうですが、デメリットがおおきくうまくいかなかったと聴いています。

北九州市さんはそこをうまくクリアしつつ展開していらっしゃるのですが、それはなぜか。ここが最大のミステリーだと言えば大袈裟ですが、答えは専門家との協働にありそうでした。

芝生化はざっくり言えば、園の合意形成。丁寧なヒアリングによる設計。簡易な工事。芝生を植える。養生。生える。芝刈り。随時モニタリング。助言指導。というスキームでおこなわれます。

このフローのなかで、担当課は園の合意形成とイニシャルコスト上限120万の負担を担う一方で、それ以降の手順に関しては専門家集団でありまた明確な目標をもち活動をしているNPO法人グリーンワークさんが担っています。 

この協働がうまくいっている、そう感じました。

なんだそんなことかと思われるかもしれませんが、芝生という対象は言葉はわるいですが庭いじりの延長線上にあるという先入観が邪魔をして、「専門性を有する」ものだと認識ができていなかったように感じた次第です。

岡崎市でもこの枠組みを横滑りさせることが出来ないか、一度検討していきたいと思います。
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さて、視察は当然事業そのものだけではなく街を訪れることでもあります。

道中あらためて感じたのですが、北九州市は人口約100万人の大都市です。大規模な開発からニューマンスケールな路地裏、商店街、市場など多様な相貌を見ることができます。
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また、市役所の側には小倉城が聳え、その前方には紫川が流れ(冒頭の写真が市役所の対岸から写したものです)人道橋をはじめとした幾筋かの橋が架かりひとびとの憩いの場所になっていました。

こういうことを感じることができるのもまた視察の良さなのだと思うものです。

最後は雑感ですが、末筆ながらお忙しい中丁寧な御説明をいただいた担当課の方たちにあらためて感謝をいたします。

ありがとうございました。

それでは、また。 

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大阪府和泉市市で「英語教育の推進について」を会派で視察をさせていただきました。

英語…と聞いて、苦手意識がある人が多いのではないでしょうか。かくいうわたしも、中学校時代の英語の授業がほとんど理解不能であった一人です。特に文法。このときは現在形で、この場では現在進行形になります。3人称の現在形は動詞に「S」がつきます。とか言われても、なぜなのか、なぜ彼の国の人々はこのような規則を受け入れているのか、それがまったく理解できず、それにより勉強を拒否していたように思います。笑

いやただ勉強が嫌いだっただけなのですが…

さて、そうはいってもいられない流れがまたひとつ動き出そうとしています。

いよいよ、学習指導要領の改定にともない小学校における英語教育がいよいよ始まろうとしているからです。それが本格的に動き出せば小学校3,4年生は年間35時間、小学校5,6年生では年間70時間の授業が求められることになるのです。

そして、その授業のなかで「聞くこと」「話すこと(やりとり)」「話すこと(発表)」「読むこと」「書くこと」 の5技能の修得を目指していくこととされています。

となれば、小学校時代から英語嫌いの子どもが増えないようにするにはどうすればいいのか。他方で、評定なる評価もしていなければならない状況となるのです。

このうような動きのなかで各自治体、各教育委員会は本格実施に向けさまざまな準備をしているのですが上手くいっていると言われているのが今回視察させて頂いた和泉市さんでした。

ALTと呼ばれる外国人教員はもちろん、夏には彼らが企画する英語によるサマーキャンプの展開。小学校と中学校を6/3制と考えるのではなく、9年間と捉えたうえで切れ目なく英語教育を行なっていく情報共有のあり方。加えて英検などの外部取得のための受験料の全額補助を実施されていました。

これらのことのなかで、岡崎市でも行われていることはもちろんあります。ALTの配置。また昨年からサマーキャンプもおこなわれたと聞いています。

ただ、それらのことをヴァージョンアップさせるためにも、今回の視察は示唆に富んだものであったと感じるところです。ぜひ、機会をみつつ提言に繋げていきたいと思います。

末筆になりますが、お忙しい中ご対応いただきました担当課のみなさまにはあらためて感謝もうしあげます。ありがとうございました。

それでは、また。 

こんばんは。

岡崎市議会議員の小田たかゆき(@odatakayuki1984)です。

ひさびさに出だしをこういう感じで初めてみたのですが、あらためて感じるのはブログをはじめて早2年以上。

いまでもすごく迷うのは「はじめ」と「おわりかた」なわけです。

例えば「は〜い」とかでは軽すぎて失礼ですが、「お元気ですか」もへんだし、「お疲れ様です」はメールの定型分みたいで気持ちが悪いわけです。

それでいつも迷ってしまうのですが、ふとこの迷う原因は、ブログなる手段が生まれてからそれほど時がたっていないことがその一因ではないかという気がしてきました。

ひとつそこらへんについて考えようと思うのですが、これについては手紙と比べてみるのがいいのかもしれません。

まず「手紙」にはフォーマットがあります。

相手との距離感や話題により頭語として「拝啓」を結語に「敬具」を、または「前略」を頭に「草々」と書いておけば、こういう言い方はどうかとも思いますが、内容はどうであれ手紙として成立します。

一方この出だしの規則やルールがブログにはありません。「はーい」「こんばんは」「子どもより親が大事、と思いたい」となんでもいいのですが、型がないからこそ難しく出だしに迷う道理なわけです。

もうひとつ「はじめかた」を難しくしているのは、宛先の問題です。

これも手紙と比べるとわかりいいのですが、手紙の宛先は2人称の「あなた」しかありません。この「あなた」が、大切な友なのか、遠くに暮らす両親なのか、上司や部下といった立場の人へなのか、それはわかりませんが、すくなくとも手紙は名前と身体を持つ具体的な誰かへ差し出すことになります。

当たり前じゃないかと言われそうですが、ブログはここが不明瞭です。

誰に向けて書いているかがわからないので「お疲れ様です」というわけにもいかず、「は〜い」とかでは慣れ慣れしすぎて気持ち悪く、「こんばんは」くらいがまあ適切な距離なのではないかと思っています。

この宛先の問題は、出だしだけではなく文章全体にも影響します。相手との親疎により言葉遣いを変形させる特徴を持つわれらが日本語は、わたしとあなたの関係性を規定しておくことは大変に重要だからです。

社長や上役の前で「俺は〜」は危険すぎます。妻の前で「わたくしは」と名乗れば離婚協議中を疑われます。中年男性が母親に「僕は〜」と言っていると、ひきます。これを少し考える一人称の代名詞に「ぼく」「俺」「わたし」のどれを選ぶかにより、その後に続く文章にかなり影響します。

一応、わたしはこのブログでは「わたし」を選択していますが、どうしてもこの代名詞では距離感がですぎてしまうというか、もうすこし「ぼく」に近い言葉遣いで書きたいと常々思うのですが、立場上それを選択するのには躊躇していますものです。

話が脱線しかけていますが、たまたま見つけた記事では女性が「ぼく」を使用することの是非が論じられていました。
この中では劇作家の平田オリザさんが女性が社会で使用する言葉がまだ日本語には登録されておらず、そのことが現代の社会において混乱をきたしている部分があることを指摘されていますが、これはそのまま「女性」を「ブログ」に置き換えれば、いままでここで書いてきたことをよりわかりやすく理解できるものになっています。笑

なんだか話があっちこっちにとっちらかってますがブログでは「はじめかた」と「おわりかた」が大変難しいという話しでした。文字数の制限がないののもあれですね。

といいつつ、いまどうやってこの話題を締めようか迷っているだけなのですが。

ということでぶっつとおわります。

あ〜難しい。笑

それでは、また。

愛知県知事選挙は大方の予想通り8時に当確を出しそうそうに大村候補の3選が決まりました。
まずは心よりおめでとうございます。

やはり微力ながら応援させて頂いた身として、また幾人かの方にお声がけさせて頂いた手前応援して頂いた方にあらためて感謝する次第です。

ありがとうございました。

さて、結果と共にきになるのは投票率でした。

本日の投票者数は蓋が閉まった20時時点で24.61%という数字が出ています。

これに期日前投票9.86%を足すと今回の投票率は約34.5%くらいになるのでしょうか(たぶん)。

昨日は30%を割るのではないかと予測したいたので外れたことは反省しつつも、まったく当たらなくてよかったと胸をなで下ろしているところです。
また、どうやら岡崎市内では投票率は前回より上昇しています。

なにはともあれ、関係者のみなさまお疲れ様でした。

それでは、また。

愛知県知事選挙。

長期間にわたる選挙戦も本日で終わり、いよいよ明日が投開票日ということとなりました。

さて、今回の選挙戦は勝敗はもちろんのこと、むしろそれよりも投票率がどうなるかがわたしの周囲では話題となっていたと正直に申し上げなければなりません。

ずばり言えば、とても低そう…

さて、どうなることやらと思うのですが現時点でわかるのは期日前投票の結果です。

最新のものとしては愛知県選挙管理委員会が出している、

平成31年2月3日執行愛知県知事選挙における期日前投票の状況について(2日前現在)
http://www.pref.aichi.jp/senkyo/310202.pdf

というデータがあります。

これは今回の選挙でいえば、2月1日までの県下の期日前投票をまとめたものです。

それによると2日前までの期日前の投票者数は約49万人で、これは前回の同時期約37万人と比較しても高く、期日前が根付いてきたことを伺わせるものです。

総有権者数に占める期日前投票者数の割合は7.98%であり、前回の同時期が6.29%ですので、1.3ポイント増。

前回は最終的に期日前投票に行った方が総有権者数に占める割合が7.84%であったことを考えると、今回は少なくとも総有権者数に占める9.5%強の方が期日前で投票を済ませることが推察できます。

ちなみに上のデータの2枚目の資料には自治体ごとの期日前における増減数と増減率という表がわざわざ順位づけして記載されています。

そのなかで岡崎市は増減数(今回の2日前までの期日前投票者数-前回のそれ)では4位ですが、増減率では57位という結果となっていました。

さて、みなさんもご存知のように期日前投票者数と当日投票者数には相関関係が見出しづらいものがあります。

なので、期日前がいくら高くても…

さて、前回の愛知県知事選挙の投票率は34.93%でした。

今回は30%を切らなければいいのだけど…というのはあまりにも悲観的な予測でしょうか。

明日は勝敗はもちろんのこと、投票率についても注視していきたいと思います。

それでは、また。

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