岡崎市議会議員 小田たかゆき blog

岡崎市議会議員(2期目)/1984年生/愛知県岡崎市→岡崎小→南中→北高→イギリス留学後→関西学院大学・大学院(都市計画)→NPO職員→議員秘書/無所属/チャレンジ岡崎・無所属の会/2児の父/どんなことでも連絡はこちらまで → oda.takayuki.office@gmail.com

2019/01

久しぶりの雨ですね。

そんななか早いもので1月も終わり、明日からは2月ですね。

昨日の夜は友人がお店を移転してグランドオープンをするということで、一足早いプレオープンに伺ってきました。

平日の夜にもかかわらず、多くのお客さんが出入りするいい雰囲気でした。
彼は5年ほどまえに郊外の安い賃貸のコンテナを借り手作りで店を構え、こつこつと常連客をしっかりとつけ、手狭になった店を離れ、明日から康生のカニ道楽さん近くで移転後のグランドオープンとなったわけです。

頑張れよ。それだけでいいのでしょうが、いらぬことを考えてしまうもので、少し俯瞰してみると、康生に店をあたらしく構えることは、行政の言葉でいえば中心市街地の活性化になるんでしょう。

賑わいを創出する。まあそういうことになるのですが、やっている事業者さんがそんなことを考えているか、というよりそんなことを考えなくてもいいわけです。

儲かりそうだから、楽しそうだから、あそこに出て行こう。そういう感覚なはずです。

嗅覚みたいなものでしょうか。もちろん「俺が街をよくしてやる」そういう気概で企業する方はいるとおもいますし、それは尊いことですが、そう何人もこのような人が続くわけではないはずです。

やはり儲かるから、楽しそうだから、いい仲間とわいわいできそうだから、そういった利己的な動機で商売をはじめるひとがどれほどいるかが街の活性化には不可欠な要件ではないかと思うのです。

どのような動機であれ魅力的な店が街にぽつぽつとでも集まりはじめ、それを目当てにひとがあつまり、また店が増え、あるていど集積すれば、お金を落としてくれる人がさらに増え、これがさらなる集積効果を産み、賃料が上がり、地価が上がることで地主さんも利益が出ます。そして、それは税収が増え、再分配へまわすことを可能とするはずです。

なんだか、風が吹けば桶屋が儲かるみたいな話しかもしれませんが、そういった連鎖がうまれるきっかけは誰かが身銭をきって私財を投じることでしかうまれてきません。

その心意気に心から敬意を表し、これからも通いたいと思います。笑

それでは、また。

朝は愛知県知事選挙に出馬されている大村候補の応援にいきました。
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どの季節の選挙も大変だとは思いますが冬の選挙は体の芯で冷えることとなります。そんななかでも精力的に若い人にも声をかけ訴えていらっしゃいました。

長い選挙戦も終盤戦です。最後まで健康にご留意して頂き頑張って頂きたいと思います。

その後は議会広報委員会のため市役所に。今回の議題は議会報の表紙写真の編集方法と一般質問の問答を議員の裁量で編集していくことについてでした。

概ね3月議会を載せる次回の議会報発行からその方向性で進んでいくことになりそうです。

当委員会は議会報を含めはいかに市民のみなさまへ情報を差し出すことができるのか、また親しみやすい身近な議会にしていくかを目的としつつ、目的達成のための手段を議論、実行していく委員会だとわたしは捉えています。

が、一つの疑問はそもそも議会報はどれほど読まれているのか…というとことです。

みなさんはどうでしょうか。

年4回全戸配布される議会報「議会だより」をどれくらいのかたが中をパラパラとでもいいので眺めていただいているのでしょうか。

ご意見を頂ければと嬉しいです。

というのは、表紙デザインの変更、編集方法の転換を行うのは多くのかたが手にしてもらうことを目的としてのことですが、現状どれほどの需要があるのかがわからないというのが正直なところです。

お願いいたします。

午後からは西三河9市の議員が集まる合同の研修会のため碧南に伺いました。
「日本のこれから、日本人のこれから」と題された今回の演題。

わたしなりにまとめると、氏は、日本のお家芸は文学、芸術、数学、理論物理にあり、その土台の上にテクノロジーをはじめとした産業を興し豊かな社会を手に入れた。ただ、この文学をはじめとしたお家芸は元来より日本人が理よりも美に育てる伝統、環境に慣れしできたからこそ根付いたが、いまそれが急速に失われようとしています。

これに抗うには、議員は「農家をヘコ贔屓」することだと喝破されていました。農業とは食料自給率を高めるというだけではなく、風景をつくり、春夏秋冬花鳥風月を愛でる日本人独特の感性を養う風土をつくりあげる存在だからだということです。

国破れて山河あり。山河あれば国興る。

そういうことなのかとふと感じました。

立場的にこんなおおきな話をするのは恐縮ですが、事のついでなので触れておくと、先生のお話しを詮ずるに、グローバル化や新自由主義へ対抗するのは健全なナショナリズムの構築ではないかという議論ではないかと思うのです、残念ながらこれといった見通しが立つほどの能力は、わたしにはありません。

ただ、少なくとも領土による線引きとその内側にいる人々を象徴的な秩序により統制をはかるナショナリズムにより、領土や象徴的な秩序ではなく貨幣と商品の交換のみを原理とする市場を基礎にしたグローバリズムを抑制することは、人の持つ欲求、欲望を観念により抑制することであり、幾度となく人類が宗教や哲学をとおし伝えてきたことではあると思うのですが、果たしてそれほどまでに人は高級な生き物なのだろうかといささか考え込んでしまうものです。

むしろ資本主義の内側から、道徳や倫理を構築する方途のほうが、プログラムとしていいのではないかと思うのですが、どうなのでしょうか。

すいません。なんだかわけのわからない話しですね。

書いているこっちもわかっていません。笑


それでは、本日はここまで。

また。

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今日はいろいろな方と、さまざまな場所で意見交換を。

まず午前中は学区の体育委員会さんが主催するニュースポーツ体験でした。こちらでは、ウッドカーリングとファミリーバトミントンが行われていました。
子どもから大人まで誰もが一緒になって楽しむことができるスポーツはいいですね。

午後からは冒頭の写真にあるようにソフトボール協会審判部の講習会場へ。
今年こそは審判デビューをすることを宣言してきました。笑

そう、有言実行です…

また、講習会場であった六名体育館には、現在建設中の六名ポンプ場の立て看板がありました。
多くの人が使う施設であり、何が行われているのかが簡潔に書かれており有益な情報ではないかと感じました。

他にもお会いした方から、市政だよりが10月から月一になることをどう思うかと尋ねられたり、公共交通とくにバスの問題は市政としてはどうなのかを聞かれたりと、多くの意見交換を交わすことができた1日でした。

追伸
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「今度はいつ帰ってくるの」
と息子に言われてしまいました。

来週はなるべく寝る前に帰れるようがんばるぞ!

それでは、また。

新聞を読まない。

そう至る所で言われています。今日たまたま眺めた記事でもそんなことが書かれていました。
さらっと読んだ感じでは、新聞発行部数の急激な減少とともにSNS等で細かなターゲット設定が可能な広告媒体の出現により広告収入が激減していることを挙げ、新聞社の経営が一層厳しくなることで、いままで民主主義の根幹を支える良質なジャーナリストの供給元であった企業が衰退することに警鐘を鳴らしています。

新聞社がジャーナリストを育ててきたかどうかはわたしにはわかりませんが、これを読みつつあらためて情報をどこから、どのように得るのかは過渡期なんだと感じた次第です。

みなさんは新聞派なのでしょうか。それもとネット派でしょうか。もしくは両方という方もいるのかもしれません。

情報源としての新聞の優位性でよく挙げられるのは、ベタ記事だけではなく掘り下げた記事が記載されていること、幾重もの編集過程を通過したものであること、それに付随してですが、扱われるデータや事実関係の裏付けが性格なことがあるとされています。

また、新聞という媒体の特性として、一覧性、構成による記事の重み付けもあるのかもしれません。

ぱっと開いて全体を見渡すことができ、自己の関心の外側にあるニュースを半ば強制的に視界へと写すことができるのは、ネットと比較して圧倒的に優れているはずです。

また、構成による重み付けは、情報を素早く処理しようとするさいは大変役立つものです。

他方で、よく比較されるネットは、速報性はもちろんのこと、キュレーションサイトの発達によりこちらが興味のある情報を集め差し出してくれる機能や、文字数制限がなく論文とはいわないもでも重厚な論考を読むことも可能です。

もちろん、その場で興味のあるサイトへ飛ぶことができるなど、深掘りしていきたいさいは新聞ではめんどうなことも、クリック一つで探すことができます。

こんなところがよく二つの媒体の比較で出てくる特徴なのではないかと思いますが、いつも思うのは消費者としては両方うまく使えばいいよねというところ。

とても簡単に割り切れば、価値があれば対価を払うし、なければ払わない。それだけのことだと思っています。

そう言いつつも、わたしは両方で情報を得ており、双方へ対価を支払っているのですが、それはとりあえず価値があるからだと思っているからです。

書き手から見れば、どの媒体で書くのか、どの媒体が生き残るのかは死活問題なのかもしれませんが、読み手にはそんなことあまり関係ないはずです。

なんか乱暴な議論になってしまいましたが、情報の価値は読み手が決めるものであり、その媒体がどうであるかは時代の変遷とともに変わるとしか思えません。

それでは、また。

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視察の2日目は神奈川県川崎市さんで「働き方・仕事の進め方改革の取組」についてを伺ってきました。
働き方改革というのは詮ずるに、労働者の働く場所と時間を個人の裁量に委ねることであり、他方で、組織としてはそれを認めること、推奨することにあると考えています。

職場にいかずとも働けること、時間をずらして出社できること、時短勤務を可能にすることで子どものお迎え、介護に対応できるようにすることなど、どれもそういうことだと思うのです。

これは考えようによってはとても簡単なことです。が、やはりいままでの習慣や意識を変革していかなければならなかったり、人事の制度を見直していかなければならないこと、またICT環境を整備するなど環境整備を行っていかなければならないなど、一筋縄ではいかないところがあります。

こういった制度面、環境面に加え、行政は管理部門から現場で手を動かす現業職、窓口業務に医師や看護師などさまざまな職種を抱えていることから、画一的に働き方を変えていくのが難しいのも現状ではないかと思います。

ただ、だからこそ、改革という言葉が付されているのだと思うのですが、川崎市さんでは上記の取組を着実に進めていくこと、地味だとしても管理職を含め職員の意識を改革していくことに取り組んでいるとのことでした。

ただ、行政における働き方改革の難しさはどうしても「働く時間の短縮」が目的に見えてしまうところです。

企業でも行政でも36協定がある限りもちろん超過勤務の是正は必要なことであり、残業時間を減らすことは多様な働き方生き方をする上で必須であることは理解できます。

それでも企業の場合は労働時間を短くすることで結果的に生産性をあげること、もっと下品に言えば、多様な働き方を可能にすることでより儲かる、稼げるからやるという面があります。

他方で、行政は生産性という物差しを一律に適用するには難しい問題があります。

儲かることをやるために行政サービスが行われているわけではないからです。となると、どうしても働き方改革は労働時間をいかに短縮するか、そこに目がいってしまいがちです。

繰り返しになりますが、それはそれでもちろん大切なことですが、行政のロジックの外側で汗水垂らして働いている市民のみなさんにその尺度だけで理解が得られるのかはいささか疑問であり、なにかこれといったものがないか知恵を絞っていかなければならいのかなーと考えてしまうところです。

そんなことを考えさせていただけた視察でした。

今回お世話になった議長さんをはじめ、担当課のみなさま。

ありがとうございました。

それでは、また。

本日から総務企画委員会として東京都あきる野市、神奈川県川崎市へ2日かけての視察を行います。初日の今日は7時55分東岡崎駅に集合、豊橋経由で花の都東京に10時10分到着。
そこから中央線と青梅線を乗り換えあきるの市役所の最寄り駅であるJR秋川駅に11時48分に到着しました。
「あきる野市」は東京都の西、八王子市の北側に位置する人口8万人ほどの町です。主要駅の一つである秋川駅前は直線道路が東西南北に走り、大型ショッピングスーパーがあるニュータウンを思わせる都市構造であり、西側には中山間地、丘陵地を抱え東京郊外の最西端に位置しています(たぶん)。

挨拶をして頂いた議長さんもあきる野市の人口は減少局面に入ったが「戸建住宅の需要は衰えることなく、都心と変わらない値段で土地付き戸建住宅が購入できるのがあきる野市で、都心から車でも電車でも1時間ほどの場所にある」と仰っていたことからも、たぶんそうなんだと思います。

さて、この立地がドローン活用事業の推進に繋がっていることが後からわかりるのですが、それは後で説明するとして、この「あきる野市」さんで今回のドローン活用事業について視察をしてきました。
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ドローンはみなさんご存知のように無人ヘリコプターです。

リモコンを用いた手動運転はもちろんのこと、あらかじめ定めたルートを飛行する自動運転も可能であることから、さまざまな用途での利用が期待されているのは周知のこと。

民間では宅配や農薬の散布、人の輸送などでの実用化、実証実験が行われていますが、あきる野市さんはこのドローンを行政としてどのように活用をしていくかを実験的に取り組んでいるのです。

そこで百聞は一見にしかず。

まずはどういう風にドローンを活用していこうとお考えなのかを、この動画で把握していただければと思います。

なんだか「海猿」を想起させる動画ですが、ざっと見ていると、大規模災害時における孤立集落への物資輸送、増水で中洲に取り残された人の救助活動、土砂災害箇所を上空から撮影することで迅速に状況を3D画像へ変換することなどが映されています。

担当課からの説明ではこれに加えて、遭難者の効率的な捜査や救助、鳥獣対策への活用なども展開していくとのことです。

とまあ、斯様に有効性がありそうな行政によるドローン活用ですが、一方で課題についても聞くことができました。

その一つは市街地での使用の難しさです。

ドローンの使用には航空法、道交法、電波法など法律上さまざまな制限があるそうですが、もっとも影響を持つ規制の一つに人口密集地での飛行があるそうです。まあ危険性を考えれば仕方ない側面もありますが、密集地での飛行には航空局の許可が必要となります。

これが山間地でしかなかなか行政での利用が進まない(民間も?!)理由の一つとのことでした。

それでも、ここで立地の話になるのですが、あきる野市さんはたまたま?!東京都心から同心円状に広がる人口密集地(DID)の境界線上に位置しておりDIDの網がかかっていない部分を抱えています。

地図で見た方が早いのですが、東京は真っ赤です。
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ズームしてあきる野市DIDを取り出すとまばらになっています。
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ちょうどDIDの切れ目に位置するこのような立地特性も一つの要因となり、あきる野市さんがドローンを展開している理由となったとのことでした。

□岡崎市では

で、岡崎市はというとこんな感じです。
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額田はもちろんのこと六ツ美の一部でも可能性がありそうなことがわかります。

とりあえずの結論めいたもとしては、十分にドローンの活用の検討の余地がありますが、他方で、自衛隊や消防などとの連携も大切なこと。そこの動向を注視しつつ、導入を検討していくのでも遅くないのではと思いました。

さて、あらためて、本日ご説明頂いた職員の方々に感謝申し上げます。

明日は川崎市さんにお邪魔する予定です。

それでは、また。

講演を拝聴してきました。
上記にあるように、講演はJR岡崎駅東口の一角にあるララシャンスOkazaki迎賓館を経営するアイケイケイ(株)の代表取締役である金子社長が登壇され、生い立ちから会社の成り立ち、そしてここ岡崎へと進出された経緯などがわかる内容でした。

ご存知のように、ララシャンスさんは駅東の市有地を定借で借り、民間資本を活用したPFI事業として建設され、平成29年10月にオープンしました。

それから1年半年ほどの時が流れたわけですが、拝察するに、東証1部上場企業であり、どのような条件であれ営利が要求される一方で、岡崎駅周辺のまちづくりへの参加が求められる難しい立場にも関わらず、リスクを取り、挑戦を続けられていると感じます。

これからどんどん様変わりしていくのがJR岡崎駅周辺です。

そのなかで象徴的な建物として企業としてこれからのご活躍を期待するとともに、市議会議員の1人として責任を持って携わっていきたいと思います。

それでは、また。

今シーズン最後になるであろうもちつきへ。
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多くの子どもたちが集まり餅4升をつきました。

餅つきの肝要さは最初にこねるところにありと教わり、そこを担当させていただいたのですが、これは力がいる作業で普段あまり手を使うことない生活をしているので、明日が不安です。笑

子どもたちにとっては珍しいことなのか、どの子もつくことにチャレンジしてくれて、いい思い出ができたんではないかな、と思っています。

夕方からは大村知事個人演説会でした。
まとめると福祉医療、安全安心、経済政策のそれぞれについて愛知県として今後どう西三河、岡崎市と協力していくかを具体的な例を交えて話しを展開していました。

岡崎市警察署の建替を含めた議論については下記のようなご意見も頂きました。
最後は恒例の頑張ろう三唱。

ということで、本日はここまで。


地域にお寺を守っている方からお話を聞きました。
宮本常一という民俗学者に「忘れられた日本人」なる有名な著書がありますが、その中の一編に「村の寄りあい」があります。

非血縁的な地縁集団が比較的つよりところ…では早くからお互いの結合をつよめるための地域的なあつまりが発達した。この集まりを寄りあいといっている。

と述べ、寄りあいは、武士の集まりである衆が、地蔵講、念仏講などの宗教的な集いから発達したものではないかとしています。

この寄りあいは隠居したばあさまたちが集まるものが多く、かつては閉鎖的であった村のさまざまな問題を、なんとなしにここで話し合い、村の女衆の潤滑油となっていたのであり、だからこそ年長者の経験は尊ばれていたと指摘していました。

村の寄りあいという風習がなくなりもう随分な時間が過ぎ去りました。

それでも、今日お話した方は子どもの頃の記憶としてそういう雰囲気を肌身で知っており、だからこそ、お寺が地域で果たす役割の重要性がわかるのではないでしょうか。

お寺の再建などという大層なことが出来るほどわたしには力はありませんが、せめてなにか出来ればとも思います。

それでは、また。

今日から愛知県知事選挙が公示となりました。

朝から大村候補のポスター貼り、証紙貼りへと選挙だな〜という久しぶりの感覚を味わってきました。
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証紙貼りというのは聞きなれない言葉だと思いますが、これは選挙期間中に配布できるチラシの一枚一枚に証紙を貼る作業のことを指します。

貼るだけの簡単な作業といえばそうなのですが、知事選挙ともなると30万枚のチラシ配布が認められていますので、そのひとつひとつこのシールを貼るという作業が待ち構えているのです。

これに加え、告示とともに急いで準備をしなければならないのは、枚数もさることながら、選挙に関わる用具一式は告示日の朝、書類の提出と引き換えに渡されるので、事前に準備することができないということもあります。

かく言う理由ゆえ県下から多くの支援者が集まり一気呵成、黙々(ワイワイと?!)とシールを貼るお馴染みの風景になるのです。

これ。すこし引いて考えれば、ポスター貼りも証紙貼りも、なんとなく時代遅れな感じがするものですが、どうなんでしょうか。

公平性を担保するために整備されたシステムだとは思うのですが、あまりに大勢の協力が必要となるのは考えてしまうものです。

といっても、これらのことをなんなくこなす選対こそが強いとされるのがこの業界であり、その強者からすれば、現行の制度を簡素化させるのは、門戸を開くことを意味するわけでので、まあなかなかテコ入れする動機が働きにくいのかもしれません。

簡素化…選挙のたびに思うところですが。

さて、そうこうしていると選挙事務所前にて出発式が行われました。
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拳高らかに無事に出発式を終え、支援者のみなさんに挨拶。
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15:30過ぎには街宣カーに乗り込み候補者が出発していきました。

今回の知事選挙は2月3日が投開票日ですので、17日間の選挙戦となります。

メディア上では「2期8年の実績と革新系」「人かコンクリートか」「開発か福祉か」「道路か扶助か」といったアフェンダセッティングで押し通そうとしていますが、どうなんでしょうか。

まずは自分でしっかりと考えていきたいと思うものです。

2月に行われる愛知県知事選挙。その公約が発表されました

政策的な争点はもちろんのこと、今回の選挙では一層の投票率の低下が心配されます。

そこらへんの動向もしっかりと見極めていきたいと思います。

それでは、また。

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