岡崎市議会議員 小田たかゆき blog

岡崎市議会議員(2期目)/1984年生/愛知県岡崎市→岡崎小→南中→北高→イギリス留学後→関西学院大学・大学院(都市計画)→NPO職員→議員秘書/無所属/チャレンジ岡崎・無所属の会/2児の父/どんなことでも連絡はこちらまで → oda.takayuki.office@gmail.com

2018/09

3連休の中日でした。

午前中は長男を連れて岡崎市美術館へ。
こちら明日までですので、お見逃しないようお願いいたします!!
開催中の展覧会「ジョルジュ・ブラック-宝飾デザインの輝き」 | 岡崎市美術博物館ホームページ 
http://www.city.okazaki.lg.jp/museum/exhibition/openexhibition/p022908.html
ついでによったカフェでランチ。
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午後からは北高の同窓会へ。
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夜は毎年恒例の「矢作JAZZナイト」に。

ジャズを聞くといよいよ秋だな〜と思う次第です。

それでは、また。

手話言語条例制定にむけての勉強会に参加してきました。
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なによりも今日、勉強になったことは、手話は「言語」であるということでした。

そう「言語」です。

これは衝撃でした。

このお話しを聞く前は、わたし自身、手話は会話の「補助手段」のひとつとしか捉えていなかったように思います。「補聴器」「筆談」「電子機器」などに並ぶものとしての手話だと考えていた節があるのです。

ただ、そうではなく、手話はひとつの外国語だということがわかりました。

抽象的な話しばかりではあれですので、手話が言語であるというのは、例えば当事者の方達から聞いたこんな話しからも伺えました。

「病院に行ったさい、手話通訳者が帯同していないと、なかなか伝わらない」
「免許の書き換えでもなかなか理解してもらえない、難しい」
「市役所の窓口での対応も、手話通訳者が来るまで大変なんだよ」
「消防、救急はメールでのやりとりになる」

感が言い方はすぐにお分かりだと思いますが、このような問題は外国人の方が公共サービスや手続きをするさいに、まず直面する問題と瓜二つなのです。

とりあえず、わたしたちは日本語、英語、中国語、と並ぶように「手話」を認識する必要がありそうなのです。

頂いた資料では、国ではH23年に改正された障害基本法により初めて手話=言語であることが認められ、平成26年には「障害者の権利に関する条約」を批准したことで手話が言語であるとの位置付けが制度的に担保されたとあります。

それに触発されるように、いくつかの自治体では条例が制定され、手話が言語であるとの認識から公共施設、サービスにおいて手話通訳者を配備することや、市民への啓発が行われてきたそうです。

ここ愛知県でも「手話言語・障害者コミニュケーション条例が平成28年に制定され、手話だけではない障がい特性におけるコミュニケーションの壁を下げる努力、責務を各主体に課す制度が確立をされました。

と、法、制度として眺めてくると手話=言語というのは特段新しい認識ではないのかもしれませんが、寡聞にして今日までわたしは知りませんでした(反省)。


さて、今日の勉強会の主旨はそのような手話言語条例を岡崎市でも制定するべきではないかというものであったこともあり、一種のロビー活動が功を奏したのか、同僚議員の先生方も数人お見えになっていました。

そこでは、「条例制定の前に具体的に困っていることを潰した上で、必要とあらば条例策定の方向性でもいいのではないか」「予算、継続性を担保するためにこそ、まずは条例制定をしていく必要があるのではないか」との有意義な議論があり、また、出席していた熱心な市役所職員の方の意見として「具体的な問題の解決や条例制定はもちろん検討の必要はあるが、それ以前に、まずは健常者もろう者も同じ人間なので、お互いがどういう立場かをしっかりと把握する努力、端的にいえばヘルプマークや何かしらのサインを送り合うことで、スムーズにコミュニケーションの端緒を開く努力をしてはどうだろうか」という実際の現場にいるからこそ思う、対人関係の機微に関する提案もあったりと、すごくいいディスカッションになっていたと思います。

最後に、わたしとしては今日のお話し、議論を聴きつつ「条例化」についてはもう少し時間を置いて考える必要がありそうだと思った次第です。

実際に手話としての言語として考えた場合、窓口や病院での対応において不十分な点があるのだろうということは理解できました。

ただ、それらの解決はなにも条例化でなくとも解決の糸口はあるはずです。

また、手話以外のコミュニケーションについても十分な配慮をしていかなければならないとも思います。

他方で、条例化により広く健常者を啓発し理解を促すというこも考えられなくもないのですが、私自身がそうであったように、いくら法、条約とうで謳われていてもなかなか届かないという側面があり、条例もまた同じだと思うのです。

とはいうものの、いまはいくつかの市町で条例が制定されています。まずは、それらの状況を調査しつつ、わたし自身もできることは確実に進めていければと思います。


ということで、本日は素晴らしい機会をありがとうございました。

それでは、また。

議会事務局にインターン生が来ていました。

そのインターン生が最終日の成果発表として、わたしたちの前で『若者と市議会の距離を近くする「情報発信」』と題し、市政に無関心な若者にたいし「若者市政だより」を発行し、それをSNS上で発信する取り組みを行ってはどうかという提案をしてくれました。

初々しいリクルートスーツに身を包み、彼女から見ればおじさん、おばさん、さらに「議員」なるなんだかよくわからない存在を前に堂々とした発表でした。

提案はそれもひとつの有効な手段だと思います。打つ価値はあります。ぜひ取り組んで頂ければ嬉しいです。

ただ正直な話しをすれば拝聴しながら、少なからず別のことを考えていたことをここで謝らなければなりません。

そして、考えていたことをここに記すのは少し憚られるのですが、あえて言えば「若者が政治に無関心ではいけないのか」ということです。

若者が政治に関心がない理由はそれほど難しいことではありません。彼らは、生活の実感に乏しく、社会は実家と学校とバイト。とすれば、政治との接点は薄く興味を持ちにくいというものです。

わたしも経験上いえることは、大学生にほとんど生活感はなく、少しの勉強とバイトで日々を過ごし、ゴミ出しでさえかなり怪しい(後に知ったことは、大学生協のおじさんが分別などすべてをやってくれていたとか…)ものでした。

高卒、中卒で働いている方々にとってはもうすこしシビアでしょうが、こと生活実感となれば似たり寄ったりなはずです。

そして、この生活から遠いから、政治からも遠くだから関心がない、その感覚はわたしにはまっとうなものであると思うのです。

その感覚こそ大切です。

というのは、その感覚は若い間に「政治」に近づく危うさを本能的に嗅ぎ取っていると思うからです。

誰であれ、どうせ、いつか、日々の生活に苦労し否が応でも市政や政治に関心を持たなければならない日がやってきます。そのときに、生活の延長線として、自分の身体の延長線上に政治を考えていっても決して遅くはありません。

むしろ、それなくして興味を抱いた政治は本来危なっかしいものです。政治を概念や理念として捉え、中身のないなにかとして差し出すことになるからです。理念や概念は貨幣や欲望と同じく制約がありません。だからどこまでも先鋭化するし、自己以外のすべてを排除するところまでその刃に磨きをかけることになります。

往往にして若い世代が政治に関心を抱くとそうなります。

ぎりぎりまで相手を切り刻むことを目的とし、概念による闘争を繰り返すのです。

ただ、現実の政治はそうではありません。個々に意見の違いはあれど、対立はつねに落とし所をさぐり、間をとってまあここらへんでひとつ、というなんとも曖昧な幕引きが指向されていきます。まあ、そこはひとつ、間をとって。頼むよ。と。これは生活感覚や身体が理念や概念に制約をかけからこそ導かれる知恵です。

先鋭化することなく対立する議論の落とし所を考えること、相手を立てつつも自らの意見を押し通すこと、このような立ち回りは生活や身体の制約により(簡単に言えば徹底的にやりこめた相手でも、また次の日からゴミ出しで顔を合わす可能性があるからこそ、議論が先鋭化しないということですが)導き出されるものです。

それなくして、政治なんぞに関心を示すのは危ない。いまの若者はそう本能的に感じ取っているからこそ、政治に無関心なふりをしているのではないでしょうか。

だから、その感覚をどうか大切にして頂ければと思います。

インターン本当にお疲れ様でした。

では、また。

2018-09-11 16.52.13
決算特別委員会の総括質疑をしてきました。

9月議会においては前年度の決算が審議されます。そこで、特別委員会を設置し、まずは各派の代表者が総括質疑なる大まかな概要を質す場が設けられています。

ただ、いきなり特別委員会とかいわれても…そう戸惑う方がおおいのではないでしょうか。かく言う私もそうでした。

ここでまったくつまらない話しかもしれませんが、岡崎市議会における決算審議の流れを大まかに説明するとこういう感じになっています。

決算認定議案として本会議に上程→決算特別委員会に送付→決算特別委員会の初日(議長の選出、資料の説明)→決算特別委員会の2日目(総括質疑、分科会の設置)→決算特別委員会分科会(総務企画、文教生活、福祉病院、経済建設)での調査→決算特別委員会の3日目(採決等)→本会議最終日に認定

一読してもさっぱりだと思いますが、要は、みんなで本会議に集まってあーだこーだという議論をしてもなかなかまとまらないし、時間もかかるので、まずは少人数の委員会で議論しましょう。その後、大まかにまとまった後で、本会議に差し戻しあらためて採決しましょう、ということを手続きにすると上記のような流れになります。

本日はそのなかで、特別委員会2日目の総括質疑があったというわけです。

で、議事録(正式ではありませんが)はこちら。
【議会】H30年9月定例会 決算総括質疑
総括質疑は各会派、質疑と答弁をふくめ30分の持ち時間制です。

気になる部分をいくつか質したのですが、ごく簡単に決算をまとめれば、一般会計における決算状況は歳入は約1270億円、歳出は約1210億円の過去最大の財政規模であり、財政の健全度を示す数値も概ね良好で、少なくとも平成29年度の市政は健全な状態でした。

とはいっても、少子高齢化そして人口減少が確実である状況を考えると、うかうかはしてられませんが…

またもしお時間があれば上記の議事録をご高覧いただければ幸いです。

さて、明日からは各分科会にわかれより詳細に調査していくことになります。

まずは経済建設分科会ですね。


ということで、まだまだ議会は続きます。

では、また。

10月3日(水)の午後から岡崎大学・岡崎短期大学の校舎をお借りして、学生11人と議員(福祉病院委員会)11人で「子育てや保育士として働くこと」をテーマに意見交換会をします。

20180909東海愛知新聞「意見交換会」
2018/09/09 東海愛知新聞1面

この意見交換会は「若い層に地方自治に興味を抱いてもらう」「若い人の意見を取り入れた政策を考える」ために行うとされています。もちろんそれはとても大切なことですが、もう一つ、この交換会の意義としてこれからの議会のあり方を示すというものがあります。

ややもすると、議会は必要なのか、なんのためにあるかわからないという声が聞こえてくるのですが、やはりそこは議員一人一人が行動により必要性を訴えていくとともに、他方で、議会として市民に向き合っていくことが説得への第一歩であり、そのためにこのような交換会が大切な手段になるはずなのです。

議会はとても力があります。

自治体の予算を決めるには議会を通さなければなりません。自治体の法律である条例を制定するためにも議会を通さなければなりません。そのほかにも、調査権、懲罰権など様々な権限が自治体の議会には付与されているのです。

ただ、むやみにそれを乱用すれば、市民生活に多大な混乱を巻き起こすことになり、だからこそ、合議制をとり極端な意見を抑制する知恵や制度が実装されています。

そのため議会として公式に表明される議論、結論は決して耳目を集めるものにはなりにくいはずです。また、かりに議会がセンセーショナルでスキャンダラスな結論、意見を表明すれば、それはほとんど歴史の審判に耐えることなき議会の失敗として刻印されるはずです(たぶん…)。

つまり議会の出す答えはつねに斬新的に進むもの、少なくとも、そうあるべきものです。

そうあるべきですが、逆に考えると、たぶんここらへんに議会不要論の原因があるはずだと推察することができます。つまり、そのような意見はなんだか凡庸で、差し障りのないものにうつるのです。

そしてそれは間違いではありません。凡庸な結論を出すこともまた難しかったりします。というかとても難しい…

やはり議会の斬新的な傾向は変えるべきではありません。

だとすれば、議会は議会として市民と向き合い対話を行う努力をしていかなければならず、そのために交換会のような仕組みを継続的に動かしいく必要があるはずです。

残念ながら、かつてのように(そのような時代があったかわかりませんが)議会の決定が敬意を持って受け入れられる時代は終わりました。他方で、議会の凡庸な意見表明に耳を傾けていただける機会は、個人化が進み、情報過多の昨今において、ほとんどないといってもいいはずです。

だとすれば、議会が「議会」として自ら出向き、膝と膝をつきあわせ、説明をしていくことです。

その端緒がこの大学生との「意見交換会」です(そう個人的には理解しています)。

まだまだ、初開催もされていないうちに、次のことを話すのは憚られるのですが、継続的に対話を続けていくことで、広く市民、住民の方に「必要だ!」と思っていただける議会になるのだと思います。

そうなるよう頑張らないと…。

まずは10月3日。しっかり成功するよう頑張っていきたいと思います。


それでは、また。


蒲郡市議会の一般質問に傍聴へいってきました。

他市の市議会を傍聴する機会は議員なる職責を担っているものでもなかなかないはずです。というのも、どこの議会もだいたい定例会の日時が似たり寄ったりで、議会への出席、その合間には準備があり、なかなか足を伸ばすのが難しいはずだからです(調査したことないので肌感覚ですが)。

それでも、先日、訪れた西尾市議会の一般質問でこれはなかなか、様々なことを体感できると味をしめたものので、どこか近場にあればまたと機会を伺っていました。
西尾市の議会を傍聴することで議会の違いを体感してきました!
http://odatakayuki2016.blog.jp/archives/20399382.html
ただ今回も無理かなーと思っていたところ、たまたまといってはなんですが、facebookに以前このブログで紹介した蒲郡市議の鈴木たかまさ議員が登壇すると投稿しており、スケジュールを見ればなんとかなりそうでしたの、これは千載一遇のチャンスと思い、今回は蒲郡市議会をターゲットに定め一路、248を南下してきた次第です。
蒲郡市議会の鈴木たかまさ議員の一般質問をネットで見て思うこと(長文…)
http://odatakayuki2016.blog.jp/archives/26869831.html
到着したのは16時過ぎ。

途中、想定以上に道が混雑していたこともあり、登壇時間ぎりぎりになんとか車を停めることができました。ただ、議場は蒲郡市役所の最上階である8階に位置しています。急いでエレベーターに乗り、議場がある8階へいくと「7階にある議会事務局に傍聴の申請を」との立て看板が。

踵を返し、階下の議会事務局で手続きを済ませ傍聴席へ滑り込み、なんとか鈴木議員の登壇には間にあったのですがやはり、予定は計画的に。笑
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さて、傍聴者として一般質問に耳を傾けていると、やはりさまざまなことに気づかされます。

もっとも強く感じたことは、わたしが蒲郡市民ではないということを差し引いても、質問と答弁を言葉のやりとりだけで追いかけていくことの難しさです。

急いで付け加えますが、鈴木議員が悪いとか理事者側の答弁が拙いとか、そういうことではありません。手元には通告書があり、そこには質問のおおまかな流れが記されています。また、鈴木議員は有権者の声を大切にしつつ、なるべく抽象的な言葉は避け、具体的な問題を丁寧に質問されており、ボードやペーパーを掲げつつ視覚にも訴える努力をしていました。他方の理事者側もそれを受け、整然と答弁をされていました。

それでも、というか、そこまで配慮をされていても、どうにも言葉のやりとりだけについていくのは難儀なんですね。

もちろん受け手の集中力如何によるとしてしまえばそれまでなのですが、耳を傾けつつあーそうなのかもなーと思ったのは議会のやりとりを「プレゼン」と捉えていたことに原因がありそうだということです。

いまさらですが議会は一方的に話し手が聴衆に語りかける「プレゼン」ではありません。

プレゼンは事前に完成している物、こと、理念、考えを聞き手に届けるものであり、話し手はプレゼンが始まる前から話し終えた後も考えは変わりません。プレゼンする者が掛け金を置いているのは、事前に準備したものをいかに聞き手の腹に落とすことであり、プレゼンの途中で翻意するのは侵してはならない禁じ手なはずです。

議会の一般質問はこれとはことなります。

(すくなくとも素晴らしい)一般質問はする側、答える側だけではなく、聞き手も含め、すべてその場を共有するものが事前に準備していたものとは違うところへ、想定していたものとは異なる外へと連れ出すことにあるはずです。

質問する側は落とし所は考えつつも、質問、答弁、質問、答弁と繰り返すうちに、あらかじめ設定していた落とし所が揺れ動き、後退したり、もう少し前にあたりをつけたりを繰り返します。また、理事者側もおなじ動きをするはずです。だから議会の一般質問はプレゼントとは異なり、送り手も、受け手も、聞き手も、それの前と後では異なる場所に位置していることになるはずです(少なくとも理念的には…はい、少なくともです)。

そして、このようなあらゆる主体が揺れ動き、ぶれる場について、それに慣れない、なにかと「プレゼン」と考えているわたしのような聴衆には聞きづらいと感じてしまう要因があり、もしかすると、ここに「一般質問はよくわからん、聞きづらい」と指摘される原因が胚胎しているのかもしれません。

とすれば、どうすればいいのか。

それは、単純に両者が丁寧に真剣にやっていくしかない、そういうまあ凡庸な結論になるのですが、今回他市の議会を傍聴することで議場でのやりとりは「プレゼン」ではなく弁証法であることにあらためて思い至ったのは大きな収穫でした。

そして、それを再認識したうえで、今後の自分の一般質問を組み立てていかなければと決意をあらたにできました。
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一般質問を終え、一安心した鈴木議員です。

そういえば、他市の議会を見にいくことはとても勉強になる、そう教えてくれたのは鈴木議員でした。

さすがですね。

また機会を見つけ他市の議会へ赴きたいと思います。


それでは、また。

台風の影響はいかがでしょうか。

何事もないといいのですが…


さて、今日は朝から9月議会が開催されました。
昨日から台風の影響が心配されたことで、今日は開始時間を1時間早め、AM9:00からの本会議の開催となりました。
そのおかげで正午すぎには全ての日程を終え、無事に議事が進むことになりました。

今後は議案、そして平成29年度の決算の審議がおこなわれていきます。
しっかりと審議をしていきたいと思います。

台風の影響が少しでも少ないことを祈りつつ。

市内の22の小学校等において岡崎市地域総合防災訓練が実施されました。

毎年防災の日の前後におこなわれるこの訓練ですが、わたしは地元の学区の防災訓練に参加してきました。

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朝の6時30分すぎに町内の一時避難所である公園に集合です。

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同じ町内に住む目が不自由な方をリアカーに乗せて連れてくる訓練も合わせて行われました(掲げられた「ヘルプマーク」がいいですね。)

ちなみに今回は息子と参加です。

ここから歩いて一路、避難所である小学校へ。

 

小学校ではさまざまな訓練がおこなわれていましたが、今回注目したのは災害時の避難所では障がいを持ったひともいるという理解を深めるブースについてです。

障がい者の方も災害時にはまず近くの指定された避難所へ駆け込むことが想定されています。そこから必要とあれば福祉避難所や病院、施設へとなるのですが、まずは避難所へとされています。

だからこそ、周囲の理解も必要になりそうです。

例えば、ここで説明されていたのは、耳が聞こえない人はどれだけ大きな声で話しかけて頂いても聞こえない方ももいるということでした。「耳が聞こえないと思うと、大きな声で話しかけて頂けるが、それでも聞こえないと、さらに大きな声にして話しかけて頂けるんですが、そういうことではないと理解してもらうのは難しい」とのことでした。

そこで、他のコミュニケーション方法が必要になるのですが、そこのところを理解しておいて頂けるだけでも大きな違いがあるとのお話しでした。

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また、シェイクアウト訓練もありました。

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最後は、消防団のみなさんによる一斉放水で。

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天気もなんとか持ち、素晴らしい防災訓練だったと思います。関係者のみなさん準備に加え、当日の早朝からの運営、大変お疲れさまでした。

 

ただ、火曜日には大きな台風が接近すると予報されていますので、ぜひとも気をつけて頂ければと思います。

 

それでは、また。

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