志村けんさんがお亡くなりになるという大変残念なニュースが流れてきました。謹んでご冥福をお祈りします。


あらためてこの一報に接し反省させられるのは「数」ばかり追うことについてでした。

日々流れてくる検査数、陽性感染者数、死者数などの数字。

対前年度同月比などの数字。

わたしたちが生きる上でとても大切な数字である一方、ただただその増減に一喜一憂するだけになってしまう恐ろしさがあります。

当然のことですが、この数字のひとつひとつは、名前があり、顔があります。快方に向かうことで、喜ぶ家族、知人がいる。他方で、残念ながら帰らぬひととなることで、嘆き悲しむひとがいます。

昨日の東京都の死亡者数の「1」は「志村けん」という名前でした。白塗りの顔で茶の間をわかす稀有なコメディアンで、多くの人に愛され、夜の町をこよなく愛した。というように、です。

対策を打つには「数字」は絶対に必要です。冷酷に「顔なき」モノとして、数えることができる物として扱うことはいまの局面においては大変に重要なことです。

ただその一方で、顔と名前を持つ「だれか」のために、と思うこともまた有効な対策になるはずです。

例えば、若い人の自粛が足りないという指摘を耳にすることがあります。実際にどうなのか、それはわかりませんが、彼、彼女たちに「社会のため」や「国のため」というその抽象的なものへの貢献をいくら説いても届かないのかもしれません。

メッセージは匿名のだれかへ、ではなく、「わたし」宛てにすることが必要です。

そのためには具体的な「祖父祖母」「近所のだれだれさん」のために、と問うことが必要な場面なのかもしれません。

いずれにしても、数と「だれか」の往還をすることがこの危機を乗り切るためには必要だとおもうものです。

あらためてご冥福をお祈りいたします。


-------
Line公式アカウントなどさまざまなSNSで、岡崎市内の情報や議会での活動を発信しています。
ぜひ、ご登録お願い致します。

友だち追加