議会広報委員会が行われました。
午前中は市役所にて議会報の審議。
午後からは豊橋市議会さんが実施している「委員会インターネット中継」について委員会で視察でした。
議会の議論を透明化していくこと。見える化していくこと。このことは論を待たずとも大事なことです。

しかし他方で、見える化しても誰も見ていない。議論をオープンにしたとしても市民には興味を持ってもらえない。そういう悲鳴がより開かれた議会へ挑戦している議員からあがっているそうです。
ネット中継に取り組んでいるが視聴数が伸びない。どれだけ呼びかけても傍聴席はがらがら。などなど。

「当たり前じゃないの」と言われそうですが、そうなんですよね。

決してコンテンツとして面白いものを提供しているわけではないので、この巨大資本が可処分時間を巡る仁義なき戦いを繰り広げている戦場において、議会中継や傍聴をわざわざコンテンツとして消費するひとはよほど関心がある人しかいないはずです。

議会の見える化の目的を住民からの関心を得ることに設定すれば、確実に頓挫するはずです。


ただ、わたしは違う意味で議会の見える化が必要だと思っています。

議会をオープンにする必要性は、事後における検証可能性へ繋がることにおいてです。少し格好つけていえば、オープンにすることは、民主主義における意思決定のプロセスに透明性を付与することであり、それだけが意思決定の正当性を保証するからです。

密室での意思決定が批判されるのは、そこで出された結論の是非ではなく(それもあるかもしれませんが、多くは)、そこへと至る過程をだれも追体験できないからです。

どうしてそのような結論になったのか。誰がなにをいったのか。密室ではそれがわからないのです。

他方で、見える化は、いつでも、どこでも、だれでも、その気になれば、追体験できることを保証しておくものであり、そこに意義があります。

議事録で事足りると仰る向きもあろうかと思いますが、映像には文字では表現が難しい表情、声色、身振り手振り、議場の雰囲気などを鮮やかに映し出すことができるところに議事録とは異なる記録としての価値があります。

この意味において、見える化が重要ではないかと考えています。

だから、正直にいえば、ネットの閲覧数はそれほど気にしなくてもいいことだと思いますし、注目されないことをそれほど悲観する必要はないのではないでしょうか。

さて、岡崎市議会も委員会のインターネット中継へ向けて着実に前進しているところですので、またこちらでご報告していきたいと思います。

それでは、また。