こんばんは。

岡崎市議会議員の小田たかゆきです。

この出だしでいいのだろうかといささか疑問を感じながら書いていますが、まあよしとしようと思っています。

さて、本日は昨日に引きつづき市役所で「岡崎市政策ベンチャー2030day2」が開催されました。
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昨日のはこちら↓
岡崎市の将来を語る「岡崎市政策ベンチャー2030」を拝聴してきました
http://odatakayuki2016.blog.jp/archives/31347595.html

会の概要は昨日のエントリーで記したので割愛させていただくことにして、いきなり本題に入れば、全ての話しを聴き感じたのは、内容もさることながら形式が大切、そのことです。

以後、自戒も込めてであることをご承知おきしていただきたいのですが、ここでいう形式というのは内容ではなく各チームのパワーポイントや言葉遣いのことを指しているわけですが、全体的な印象として、どうしてもこれが「行政」の枠組みに縛られ窮屈だったように感じています。

例えばですが、とある発表の導入では、立地適正化計画、商工振興計画、地域公共交通網形成計画、と言葉を並べ、どれを読んでもイメージしづらという指摘からスタートしたグループがありました。

「まさしく!」

と膝を打ち、聞き手として次の展開を楽しみにしたわけですが、ここからが、どうしてもというか、抑えがたい不安感を避けるためなのか、知らず識らず「行政的言い回し」に寄っていってしまい、元の木阿弥になってしまうということがありました。

他にも…といいつつ、一事が万事そうだったわけではありませんが、全体的にそこへ陥りがちだった印象なわけです。

決してだからだめだということを言いたいのではないのですが、とりあえずこの発表の場、対象を考えるともう少し開かれた表現、言葉遣いを考えてもよかったのではないか、それが内容よりも形式をという意味なわけです。

もちろん、これはバランスも含め大変に難しいことです。なにより、わざわざ自戒も込めてと但し書きをしたのは、だれもが自ら置かれている状況や職業が求める態度、言葉遣い、表現から自由になることができるはずもないからです。

こう偉そうに指摘しているわたしも往往にして「行政っぽい」「政治っぽい」言い回しをしらずしらず使い、内輪ノリの言葉を使用しているはずです。

外側の人には理解不能、疎外感を与えるという意味では、政治的行政的言い回しはギャル語となんら違いはありません。

おじさんにはギャル語が理解不能なように、ギャルにはおじさんの会話が理解不可能なように、内輪ノリの言葉をその外側へいる人へ届ける可能性は限りなく低いものです。

それでも、すくなくともこの会は他者に開かれた議論を指向していたはずです。だとすれば、最低限、自分が幽閉されている檻の構造の理解に努めることで、僅かでもそこから抜け出し、他者と出会う可能性を模索した痕跡をもう少し残してもよかったのではないでしょうか。

うん、難しいことですよね…

なにはともあれ、会の最後にあったようにこういった前向きな取り組みは今後もぜひ続けていってもらいたいものです。

それに期待しつつ所感じみたものを書かせて頂きました。

それでは、また。