10月3日(水)の午後から岡崎大学・岡崎短期大学の校舎をお借りして、学生11人と議員(福祉病院委員会)11人で「子育てや保育士として働くこと」をテーマに意見交換会をします。

20180909東海愛知新聞「意見交換会」
2018/09/09 東海愛知新聞1面

この意見交換会は「若い層に地方自治に興味を抱いてもらう」「若い人の意見を取り入れた政策を考える」ために行うとされています。もちろんそれはとても大切なことですが、もう一つ、この交換会の意義としてこれからの議会のあり方を示すというものがあります。

ややもすると、議会は必要なのか、なんのためにあるかわからないという声が聞こえてくるのですが、やはりそこは議員一人一人が行動により必要性を訴えていくとともに、他方で、議会として市民に向き合っていくことが説得への第一歩であり、そのためにこのような交換会が大切な手段になるはずなのです。

議会はとても力があります。

自治体の予算を決めるには議会を通さなければなりません。自治体の法律である条例を制定するためにも議会を通さなければなりません。そのほかにも、調査権、懲罰権など様々な権限が自治体の議会には付与されているのです。

ただ、むやみにそれを乱用すれば、市民生活に多大な混乱を巻き起こすことになり、だからこそ、合議制をとり極端な意見を抑制する知恵や制度が実装されています。

そのため議会として公式に表明される議論、結論は決して耳目を集めるものにはなりにくいはずです。また、かりに議会がセンセーショナルでスキャンダラスな結論、意見を表明すれば、それはほとんど歴史の審判に耐えることなき議会の失敗として刻印されるはずです(たぶん…)。

つまり議会の出す答えはつねに斬新的に進むもの、少なくとも、そうあるべきものです。

そうあるべきですが、逆に考えると、たぶんここらへんに議会不要論の原因があるはずだと推察することができます。つまり、そのような意見はなんだか凡庸で、差し障りのないものにうつるのです。

そしてそれは間違いではありません。凡庸な結論を出すこともまた難しかったりします。というかとても難しい…

やはり議会の斬新的な傾向は変えるべきではありません。

だとすれば、議会は議会として市民と向き合い対話を行う努力をしていかなければならず、そのために交換会のような仕組みを継続的に動かしいく必要があるはずです。

残念ながら、かつてのように(そのような時代があったかわかりませんが)議会の決定が敬意を持って受け入れられる時代は終わりました。他方で、議会の凡庸な意見表明に耳を傾けていただける機会は、個人化が進み、情報過多の昨今において、ほとんどないといってもいいはずです。

だとすれば、議会が「議会」として自ら出向き、膝と膝をつきあわせ、説明をしていくことです。

その端緒がこの大学生との「意見交換会」です(そう個人的には理解しています)。

まだまだ、初開催もされていないうちに、次のことを話すのは憚られるのですが、継続的に対話を続けていくことで、広く市民、住民の方に「必要だ!」と思っていただける議会になるのだと思います。

そうなるよう頑張らないと…。

まずは10月3日。しっかり成功するよう頑張っていきたいと思います。


それでは、また。