1U5A6270zozotownnの代表である前澤氏が書いた文章が話題になっていました。

僕が考える世界を平和にする方法

https://note.mu/ysk2020/n/n928e4d3b3e1d

zozotownと言えば、ネット上で服を売るサービスで大成功した企業であり、その創業者である前澤氏は会社の経営はもちろんのこと、高額な美術品の購入や自家用ジェットの所有などにより、その私生活も注目を集める方です。

といってもここで、それがどうこうということではなく、前澤氏が書いた上のエッセイが少し気になったのでここに覚書として記しておこうと思い立った次第です。

とても平易に書かれているのでぜひご一読いただきたいのですが、仰っていることはとても簡単で、「この世からお金をなくそう、そうすればみんなが幸せになれる」ということです。
僕が考える世界を平和にする方法は「世の中からお金をなくす」ことです。

お金が近代の文明を進化させる大きな役割を担ってきたことは否定しません。そして今日の豊かさを私たちが享受できるのもお金があったからです。

お金がないと生きていけない、という洗脳的な固定観念から人々が解放された時、人々は改めて生きる意味や働く意味を再考するでしょう。本来の人間らしさを取り戻すのです。

筆者引用

一読して興味を持ったのは、そんなの無理だよ、とか現実的ではないということではなく(たぶんあまり現実的ではないとは思いますが)、資本主義という枠組みにおける強者である書き手が、他方でとてもナイーブにルールそのものに対する不快感を抱く、その両義性がなにを意味しているのかということです。


これは結構な不思議です。

というのも、あるルール下において利益を最大限に享受している者を強者と呼ぶとすれば、前澤氏が自らをどのように規定しているかは別として、氏は「強者」になります。

そして、政治家にしても、経団連にしても、大企業にしてもですが、現行ルール下において利益を最大限に享受しているものはそのルールの存続を望むはずです。

それが悪いとかそういうことではなく、そういうものだと思うのです。卑近な例で申し訳ないですが、わたしとしても選挙という立場において選ばれたわけで、それをあらためつぎからルールを変更して「クジ引き」にしますとなれば、反対するはずです(現行ルールで最大限に利益を享受していないですが…)。

ただ、この著者は違います。

強者になった、自らは強者である、そのことを理解したうえで、そのルールは不公平だと指摘しているのです。

例えが適切かわかりませんが、バルセロナがチャンピオンズリーグで優勝したあとに、この試合は不公平だ、次回からは野球にしよう、と言っているのに近いのかもしれません。


となると、なぜ氏のなかでこの二つが同居するのか、それが不思議だったのです。

ない頭をひねって考えたのことは、うがった見方かもしれませんが、現在の(少なくとも一定の領域の)ビジネスエリートは、貨幣という制度を(意識的か無意識かはさておき)懐疑的に捉えることが、あらたなビジネスを生み出す源泉になっているのではないかということです。

「貨幣なき世界を夢想することが、貨幣を得る道に繋がる」

なんかとても矛盾しているようですが書き手の文章を素直に読めばそう結論することができるのではないでしょうか。

でも、たぶんそれほど間違ってはいないはずです。

いま注目されている仮想通貨にしても、評価経済にしても、また、メルカリなどが構想する経済圏にしても、貨幣(というより中央銀行券?!)の役割を否定していく先にうまれる経済圏であるとすれば、それを模索することがあらたなビジネスチャンスになるはずです。

こう考えてくれば、氏のような考え方をするビジネスエリートは意外と多いのではないかと推察できますし、それはあらたな動きなんではないかと思い至った次第です。

 

読み進めつつ「そんなの無理だよな~」と書き手の提言をベタに受け取っていたわたしはその経済圏にはまったく不向きであることを申し添えておきます。