昨日、映画「シン・ゴジラ」が地上波で初登場しました。

シン・ゴジラ
長谷川博己
2017-03-22


この映画、じつは劇場公開のさいは選挙期間中と重なり、鑑賞することができなかった思い出の作品です。

選挙が終わってからいそいそとDVDをレンタルしてきて自宅で観たのですが、やはりというか。一見しただけでもいろんな方がこの作品に言及している、せざるを得ない、多義的な解釈が可能な作品だと密かに思ったのですが、時すでに遅しで、どこかに書こうにも、時期を逸した感があり躊躇していたのですが、地上波初登場ということで、これに乗じておすすめですよ、ということで書きます。

事実は小説よりも奇なり。

なんてことが言われますが、この映画にかんしては「映画は事実よりも真なり」と思えるほど、リアリティが高いのではないでしょうか。

たしか劇場公開のさい「ゴジラ」は3.11大地震、そしてフクシマのメタファーとして描かれている、そう指摘されていました。未確認生物であるゴジラが幾たびか形態を変転し、断続的にそして無意味に首都を蹂躙する姿は、ひいてはかえす津波を連想させ、天災から人災へと移行していくあの3.11以降の時間的推移を正確にトレースしている、そう語る方がおおかったように思います。

また、それに対する「政府」の描き方も大変興味ぶかいものがあります。

超法規的な存在である「ゴジラ」に対し、法規内で対峙(退治!?)しようとする「政府」は虚構を現実へと接続するために、とても精緻に描かれています。

そんななかではっとさせられるのは、例えば、内閣総理大臣補佐官の竹之内豊さんが演じる赤坂秀樹が、「ゴジラ」を処理することを巡り、日米、国連などの思惑が異なるなかで米国が核による対処を強く迫ってきたさいのこんな発言です。

「この先は国連の名の下に、米国が巨大不明生物の処理を管轄する。戦後、日本は常に彼の国の属国だ」

これは、日常では空気のように当たり前になっているからこそ、指摘されるとなんだか嫌な気がするとともに、あらためてこの事実に光を当てられると、だからさーと言いたくなる、そんなセリフではないでしょうか。

しかし、これに輪をかけて話しを混ぜ返すとすれば、ここに描かれた「政府」も所詮は虚構ではないか、そう現実の政府を担った、担ってきている側からの反論があったりすることです。

自民党の石破茂さんなどは、映画にまじめに反論することにかんしていささかの困惑と、感嘆を含めながらも、天変地異である「ゴジラ」に対し自衛隊が出動することにかんしては、いささか現実的ではないのではないかと言及しています。

お勧め下さる方があって、「シン・ゴジラ」も映画館で観る機会があったのですが、何故ゴジラの襲来に対して自衛隊に防衛出動が下令されるのか、どうにも理解が出来ませんでした。いくらゴジラが圧倒的な破壊力を有していても、あくまで天変地異的な現象なのであって、「国または国に準ずる組織による我が国に対する急迫不正の武力攻撃」ではないのですから、害獣駆除として災害派遣で対処するのが法的には妥当なはずなのですが、「災害派遣では武器の使用も武力の行使も出来ない」というのが主な反論の論拠のようです。「警察力をもってしては対応困難な場合」に適用される「治安出動」ではどうなのか、という論点もありそうです。

お初盆ご挨拶など: 石破茂(いしばしげる)ブログ http://bit.ly/2mkGHpv

 

たぶん、そうなのだと思います。

ただ、映画という虚構に現実を盾にした議論が興るそのこと自体が、「シン・ゴジラ」が何か語るに足るものであると思われているからではないでしょうか。

なんか、まとまりのない話しですが、とにかく一見の価値ありとお伝えしたかったまでです。

ご意見などいただければ幸いです。

 

では、また。